Friday, August 16, 2013

【Race Report】第23回HAT Run 50K(2011年3月19日)


はじめに

前回、米国に駐在してからダイエット目的でジョギングを始めてからマラソンを走るまでについて書かせていただいたのですが、今回は私にとって人生初となったトレイルレースについてです。

 2010年にワシントンDCで開催された第35回Marine Corps Marathonを4時間19分46秒で何とか完走した後、ラン仲間からトレイルランニング、ウルトラランニングという世界の存在を教えてもらったことについては前回書いた通りです。私がロードからトレイル、ウルトラの世界に足を踏み込むきっかけとなった最初のレースは、Marine Corps Marathonから約5ヶ月後の2011年3月19日にメリーランド州サスケハナ州立公園で開催された50キロレースである、第23回50K HAT Runでした。

2011年3月11日のこと

2011年3月と言えば、東日本大震災が起こった月でした。少々話は脱線しますが、3月11日の当日、私は出張でニューヨークにいました。その日は朝からずっと雨が降っており、夜の会食が終わる頃、ようやく雨があがったのを覚えています。夜9時前にホテルに戻り、スーツを脱いで、さてニュースでも見ようかと片付けをしながらTVの電源をいれました。テレビをつけたとはいえ、その日の仕事のことなど色々考え事をしながらPCにも電源を入れようとした時でした。ふと画面に目をやると、『TSUNAMI HITS』という文字が目に飛び込んできました。文字通りベッドから飛び起き、TVのボリュームを最大限まで上げて目の前で流れているニュースが一体何なのか、何が起こっているのか理解しようとしました。その時撮った写真が以下の3枚です。





 その後朝まで一睡もできずに日本本社や家族と連絡を取り続けました。なかなか電話が通じず心配ばかりが募った夜でした。幸いにも私の家族、友人、同僚には直接的な被害はありませんでした。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災が発生した当時、私は神戸で高校生をしていました。人間という小さな存在は大自然の猛威の前には為す術もない大震災という状況を自ら体験させられたこと、震災直後の街の様子やそこから復興していく神戸の様子を目の前で見てきたこともあり、今回の東日本大震災が発生してから一気に色んなことがフラッシュバックとしてよみがえってきました。その後しばらくは、夜になっても寝られない日々が続きました。日本から遠く離れたところにいるため、今、日本がどのような状況に陥っているのか自分の目で確かめることができず、混乱する状況の中、米国からネットやテレビという間接的にしか情報を得ることができなかったのが非常にもどかしかったことを今でも覚えています。その後出張でようやく日本に帰れたのは震災から1年以上経った後でした。 

Run for Japan Disaster Relief 

そんなこともあり、3月11日からわずか8日後に開催されるレースに出ていいものか悩みました。ただ走るということだけはしたくない。自分が走ることで何か復興の助けにつなげることができないか、少しでも支援できる方法はないか、と考え、震災発生から3日後の14日に、FirstGivingで「Run the HAT 50K Endurance Run for Japan Disaster Relief」というファンドレイジングのページを急ごしらえで立ち上げ、今回の50キロランを通じて、東日本大震災復興支援のための寄付金を集める活動を開始しました。結果、わずかの期間だったにも関わらず、最終的には当初の予定だった$5,000を上回る、「$6,173」もの寄付金を集めることができました。当日はこれも急ごしらえで作った「Pray for Japan. Run for Japan.」のTシャツを着て走りました。おかげで当日多くのランナーの方やボランティアの方に声をかけていただき、寄付をしたいからあなたのウェブページを教えてくれという声も多数頂き、アメリカ人ランナーコミュニティのやさしさ、思いやりを感じることができたレースとなりました。




 そのような、自分にとって初めての50キロウルトラマラソンは、人生初の50キロという、その距離だけではなく、日本から離れて直接ボランティアなどができない日本人ランナーとして、この大災害に見舞われている母国日本に何ができるか悩みながら走った、特別なレースでした。このレースは1人だけで走ったのではなく、寄付していただいた方や応援してくれた多くの人の思いを背中に感じながら走った印象深いレースでもあり、何がなんでも途中で棄権するわけにはいかなかったのです。そのような思いがあったからこそ、初めてのトレイルランニング、初めての42.195kmを超える、当時の自分の限界を大幅に超えた挑戦に打ち勝つことができたのだと思います。でなければ1週目の大ループを終わった時点で止めていた気がします(笑)。

(レーススタートの瞬間。スタートラインもなく、広場に集まって時間が来て一斉に走りだすのが何ともアットホームで良かったです。)

 『Born To Run』の著者もレースに参加!


 なお、前回も書きましたがこの年はあの『Born To Run』の著者で世界中のランナーの走り方を変えたと言われているクリストファー・マクドゥーガルさんも出場しており(もちろんワラーチで!)、当日受付で『Born To Run』も無料で配布していました。もちろんレース当日はそんなことも知らずただただ50キロという距離、そして山道を走るという自分にとって初めての挑戦にスタート直前までドキドキしており、写真もサインも何もいただかなかったのが今考えると非常にもったいなかったです(笑)。

HAT Run 50Kのコースについて

HAT Runのコースは以下の通りです。
 


HAT Runのウェブサイトより引用】

 コースは、最初に3.6マイル(約5.8キロ)の小ループを1周し、次に13.7マイル(約22キロ)の大ループを2周するというルートです。最初の小ループはいいとしても、13.7マイルのトレイルループ2周はかなりの地獄でした(当時)。今考えるとコースも急坂やガレ場などほとんどなく、コースの最大標高も最大で約110メートル(約360フィート)と、今回走るWaldo 100Kの最大約600メートル(2000フィート)と比べると可愛いものなのですが、当時はそれでも人生最大の苦行でした。

 HAT Runの標高差↓
                 【HAT Runのウェブサイトより引用】


HAT Run 50Kを走り終えて

今思い返してもトレイルをちゃんと走ったこともなく、山の走り方や超長距離におけるペース配分も何も知らない中でよく完走できたものだと思います。体重も今より10キロ重かったですし・・・。ループから帰ってくる度に、妻に「死にそう!もうやだ!」と繰り返していたようですが、私はあまり覚えていません・・・。いずれにせよ人生初の50キロトレイルランは自己PR(←当たり前)で終了しました。速いタイムではないことは何となくわかっていたのですが、ではどれくらい遅いのかどうかも比較できるレースもなかったのでさっぱりわからず、その日はとりあえず無事完走できたという達成感で幕をおろしました。

 その日は早朝というか夜中の2時か3時頃に起きて車で会場まで2時間近くかけて向かい、トレイルを50キロ走ってまたその日に車で帰宅するという強行軍だったため、帰りの高速で一度どころか何度も意識が飛びそうになり、その度にヒヤリハットしたのがこの日一番の盛り上がり?でした。
 
 HAT Run 50Kの後はさすがにきつかったこともあり、50キロを超える50マイルに挑戦するまでにはここから1年以上もかかったのでした。その人生初の50マイルレースについてはまた次回ご紹介いたします。


(ゴール1秒前。笑顔ですが実際はボロボロで死にそうでした・・・。)



【23th 50K HAT Run結果】
日時:2011年3月19日(土)
場所:Susquehanna State Park, Maryland
距離:50キロ
順位:243位(362人中)
タイム:6時間51分37秒

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