Thursday, August 1, 2013

【序章】Waldo 100K完走に向けて


 2013年8月17日(土)にオレゴン州のWillamette Pass Ski Areaで行われるWaldo 100Kは、Western Statesで2連覇を成し遂げたあのTimothy Olsonさんが2012年に優勝したレースとしても有名な100キロレースです。アメリカに来て様々なレースに出てきた集大成として今年参加することにしました。人生初の100キロトレイルマラソンということで今からドキドキが止まりませんが、ふと振り返ってみるとよくここまで来れたものだと感慨深くもあります。もちろんこの100キロで私のランナー人生が終わるということではなく、その次は100マイル、そしてさらにその上・・・と今の自分からはまだ考えられない目標が待っているわけですが、それは今は置いとくことにします。よくここまで来たというのは、自分の人生を振り返ってみてもフルマラソンを走ることになるなんてアメリカに来た4年前には思いもつかなかった大事業だったわけです。

 そもそも私は今アメリカはワシントンDCに住んでいるわけですが、米国生まれだったわけでもなく、こちらで就職したというわけでもなく、いわゆる任期付の海外駐在員という身分で時限付きで働いています。2009年の秋に赴任してから2013年の今年で早4年が経とうとしており、そろそろ帰任の時期が近づいてきた今、仕事の話は置いといたとして、4年前には5キロもまともに走れなかった自分が、何を思って山の中を100キロ走ろうと思うまでになったのか、自分なりに整理してみることもひとつの区切りになるだろうと思い、少しずつですが自分の経験を書いていこうとこのブログを始めることにしました。

 赴任当初の頃を思い出すと生活環境に慣れなかったことや、それに起因する運動不足、そしてアメリカ特有の食生活であっという間に太っていきました。渡米後半年ばかり経ったある日、ふと気がつけば日本にいた時に買ったズボンがウェストがきつすぎて着ることができなくなり、鏡を見れば膨らんだ顔に二重あご、そして久しぶりに体重計に乗ってみると人生最重の90kg(!)という、信じたくない数字を目の前につきつけられました。このまま行くと人間として色々終わってしまうという恐怖心のもと、ダイエット目的で駐在仲間のランニンググループに誘われるがままに参加することになったのが今に至るランニング人生の始まりです。

 当初は週一回、土曜日の朝にグループランで5キロ~10キロを走る程度のランだったのですが、最初は5キロ走るだけでももう練習後の土曜日は疲れて終日動けなくなるという情けない体力、走力でした。ただ、続けていくうちに少しずつ走れるようになり、そのうちせっかく走っているんだから、とラン仲間と一緒に5Kレースや10Kレースに、これも誘われるがまま何度か出るようになりました。気がつけば週一回のランも苦痛ではなくなり、平日の夕方やお昼休みにも何度か走るようになっていきました。そうなると次はハーフもいけるんじゃないか?!と思うようなり、そこを目指して練習していたのですが、なかなか一緒にハーフを走ってくれる友人がおらずどうしようかと考えているうちに、ハーフを飛び越えてフルマラソンを走ることになってしまいました。この時までまだ自発的にレースに申し込むという考えには至らず、友人に誘われて一緒に走るという、全くもって主体性のない男でした・・・。フルマラソンも友人たち数人が出るということでえいやっと応募してしまったくらいです。その人生初のフルマラソンは全米でもベスト5に入るほどの人気がある海兵隊マラソン、Marine Corps Marathonでした。練習もそこそこに2010年に初参加したそのレースではもちろんタイムも順位もへったくれもなく、私の人生初のフルマラソンはボロボロもボロボロのうちに何とかゴールまでたどり着くことが精一杯という悔しい結果に終わりました。


 マラソンランナーなら誰しもが陥る、もう二度と走るものか!という怨嗟の声を30キロくらいからゴールの半歩手前まで念仏のように繰り返していたにも関わらず、ゴールした瞬間にこんな楽しい経験、1回で終わっていいはずがない!という180度真逆の思いにいつの間にか変換されていました。これもまあよくある話ですが。

 少し人生を振り返ってみると、私はもともと小学生時代から走るのは大嫌いで、小2から中学卒業までやっていた少年野球でも、裏山を走らされたりグラウンドをうさぎ跳びさせられたり(!)、とにかく子どもにこんなことさせるのかというくらいのキツイ練習の連続で、野球が好きになるどころかプロ野球中継も見たくないくらいに野球が嫌いになり、何とかしてこの状況から逃げたいと思っていた少年でした。私が子どもの頃の野球の練習というのは『巨人の星』さながらの根性練習がまかり通っていた時代でした。練習中にはまともに水も飲ませてくれず、特に夏場はいつも喉が乾いて辛かったです。休憩時間も冷たい水を飲むと体がなまる?ということでコップ一杯のあついお茶を飲むことだけが許されました。もちろんお代わりなんて禁止でしたので喉が乾いてしかたないのに、ちょっとずつコップの熱いお茶をすすって飲むという苦行でした。それが小2から中3まで続いたのですから、スポーツが嫌いになることは簡単なことでした。 中学校の体育の時間も苦痛でした。というのも毎回授業の最初に1000メートル走をダッシュさせられるという喉の渇きとはまた別の肉体的苦行が3年間にわたって続き、野球も嫌いになりましたが、何よりも走ることが嫌いなスポーツNo.1になったのでした。

 そんな私が自発的に走るようになったのはそれから10年後の社会人になるまで待たなければなりませんでした。高校、大学は小中の反動からか完璧な文系人間としてできるだけ運動から距離を取って生きてきました。そんな、走ることに対しての熱意は普通以下、いやむしろ走らないでいいようなものなら走らずにいたいとずっと思って生きてきた私だったので、大人になってから走ることを再開しても子ども時代の苦行が思い出されて楽しめずにいました。しかしそれも増えていく体重、動けなくなる体を何とかしたいというダイエットへの強い思いが原動力となり、少しづつ走ることに馴染んでいったのは上述の通りです。


 話は戻ってフルマラソンを走り終わってからしばらくして目標もなく走る日々が続きました。もう一時期のように体重も落ちなくなり、走ることのモチベーションがかなり下がってきていました。もともとオリンピック選手を目指しているわけでもなかったので、スピードで人より抜きん出ることなんてこれっぽっちも考えていない中で、モチベーションをどのように上げていくか、悩んでいたその時期にウルトラランニングという言葉に出会いました。フルマラソンの次はまたフルマラソンとばかり思っていた矢先、同じランニンググループの中にちょっと変わったアメリカ人ランナーの友人がいて(後から知ることになるのですがバージニアではそれなりに有名な弁護士兼ウルトラランナーのBob Fabiaさん)、その彼が山の中を50キロ走るウルトラトレイルランレースがあるんだけど出てみない?と誘ってくれたのです。彼に言わせるとフルマラソンなんてのはウルトラマラソンを走るためのウォーミングアップにすぎないんだぜ!ということでした。なんだそれは?!あんなに死にそうになってやっとゴールしたフルマラソンがただのウォーミングアップでしかない?!ちょっと詳しく話を聞かせてよ!と聞いたところ、そうやって山の中をフルマラソンの距離を超えて走るレースは北米やヨーロッパでは結構メジャーな種目らしく、ウルトラマラソンと呼ばれていることを知りました。しかし誘われたその時にはそういった知識もなく、トレイルマラソン?ウルトラマラソン?何?山ってそもそも走っていいところなの?というか50キロとなんて距離を誰もいない山の中で走るなんて自殺行為でしょ!と頭の中では当然のように「無理!」という結論が出ていたにも関わらず、なぜか口からは自分のそんな思考とは裏腹に「OK! Let's run!」といいながら彼と固い握手を交わしている自分がいました・・・。

 その50キロウルトラマラソンはThe HAT Runという名前でメリーランド州サスケハナ州立公園でMCMを走った翌年の2011年3月19日に開催されたレースでした。なんと私が走った2011年にはあの『Born To Run』の著者で世界のランニング界のスーパースターでもあったクリストファー・マクドゥーガルさんも出場していたのですが、そのこと気づいたのはかなり後のお話。というかその時には『Born To Run』もまだ読んでいなかったのでした(汗)。

 そんなこんなで気がつけば50キロ、50マイル、200マイルリレーなどちょっと普通に考えるとおかしい距離のレースに出始めるわけですが、その起点となったHAT Runのお話についても色々と波瀾万丈なことばかりでしたが、長くなってきましたのでそれについてはまた次回お話したいと思います。
 


(すいません!今日のブログのタイトルにもあったWaldo 100の話には予想通り?全くたどりつきませんでした・・・。)

No comments:

Post a Comment