Thursday, November 21, 2013

【Race Report】Waldo 100Kレースレポート(後編・スタート〜ゴールまで)


はじめに


今回はWaldo 100Kシリーズの後編です。前回の前編から8ヶ月もかかってしまいました・・・。Waldo 100Kシリーズについてはまず前回までの知識編、前編をお読みいただくと今回の内容がより良く理解できます。知識編はこちらから、前編はこちらからどうぞ。

 では、後編かつ完結編、スタートです!

レース当日

2013年8月17日(土)の朝3時、寝たのか寝てないのかわからないうちにセットしていたiPhoneのアラームが遠慮なく鳴り響き、起床。当たり前だけどまだ外は真っ暗。家族を起こさないように、ロッジのダイニングテーブルでトイレの明かりだけを灯し、前日のUwajimayaで購入していたお弁当とおにぎりとポカリスエットで手短かに朝食を取り、ついでにアミノバイタルプロ も一袋摂取。ロッジにあった備え付けの、味が薄すぎるインスタントコーヒー紙コップに注ぎこみ、前夜に準備しておいたレース用のウェアに着替え、シューズを履き、レース会場に向かいました。朝3時過ぎなのに周りの宿泊客も多くが起きていてそれぞれがレースの準備に余念が無いようでした。寝ているのはロッジのオーナー夫妻だけだったかもしれません。



 まだ夜明け前のひっそりとした暗闇の山中をすれ違う車もほとんどなく走っていきました。孤独感はんぱない!と思っていたところ、レース会場であるスキー場付近でようやくぽつり、ぽつりと他のランナーたちの車のヘッドライトの列が見えてきました。会場には既に多くのランナー達がいて賑やかでした。外はまだ寒いということもあり、ほとんどがロッジの中で、運営が用意していたコーヒーを飲んだり、ベーグルを食べたりしてスタートまでの時間を潰しているようでした。Waldo 100Kはアーリースタートと通常のスタートの2回にスタート時間が分かれており、すでに3時スタート組は山の中。
 会場を見渡すと、Ultimate Directionのベスト着用率の高さにまず驚きました。後、シューズではHoka One One率が結構高く、2013年のトレラン業界のはやりがそのまま表れている感じでした。ランナーはRob Krarかと思えるくらいの立派なヒゲランナーが何人もいて、女性ランナーではRosy Bosioのような健康美人が目立っていました。どちらもまだ米国東部にはまだそんなにいないタイプでした。




 Altra International Ambassadorである西城克俊選手の姿もレース会場でチラっと見たのですがかなり真剣な表情で、話しかけられる感じではなかったです。西城選手の足元を見ると履いているのはもちろんAltra Lone Peak。私もトイレいったりストレッチしたりして準備していたのですがどういうわけかまだレースモードへのスイッチは入らず。

(これから登る永遠と続くかのように見える坂=ゲレンデを臨む私)


スタート


 スタート地点は昨日チェックインしたテントの目の前。朝5時、Craigさんのメガホンでの合図で一斉にスタートを切りました。

(スタートの瞬間!)

【スタート~A1 Gold Lake(7.4miles)】
 西城選手はじめトップ選手はあっという間に暗闇の中へ。最初の数十メートルの平地の後はいきなりの延々と続く急坂。しかも乾燥しきったトレイルだったので前を走るランナーによって巻き起こされる土煙がハンパなく前も見えない状況に。あっという間に顔中埃まみれ。初っ端からのWaldoの洗礼といきなりの急坂の出迎え。呼吸するたびに砂埃がダイレクトに口にインする状況なので呼吸も思うようにできず、スタート直後のピンチにはやく登り終わってくれ・・・と祈らずにはいられなかったのでした。30分以上そのような、ゲレンデ逆走登り+砂埃直接口内イン状態が続いた後に、ようやくフラットなトレイルになりました。
 まだ数マイルしか来ていない序盤も序盤なのに既に足に張りを覚えかけているという危険信号が灯る中、足を緩ませつつ、フラットな道が続く森へ。最初のエイドステーションがあるGold Lakeまでは4マイルほどの道のり。まだ夜明け前の森は真っ暗で、ヘッドランプだけが頼りだったのに、肝心のヘッドランプの光量が急激に下がってきているではないですか。そういえば、電池、前に使った時のまま変えてなかった・・・
 何とか夜が明けるまでもってくれ!と心の中での祈りが通じたのか、電池が切れる前いにあたりが明るくなっていき、事なきをえました・・・。なんでいつもこう、抜けているんだ、俺は

 明るくなってくると周りはワシントンDCなど走り慣れている東部の森とは全く異なる姿であることが少しずつ分かってきました。言葉で表すのは難しいですが、どこかどっしりとした、春から夏にかけてたっぷり水分を含んだ、そんな青々とした野性味あふれる森という表現が近いかもしれません。ああ、自分は今オレゴンの森を走っているんだ、そんな感動にも似た思いをこの時ようやく感じることができました。この時ようやく、自分の中でやる気スイッチがカチっと入る音がしました。自分の中でWaldo 100Kが始まった瞬間でした。もうちょっと早めにスイッチはいれておきましょう。

 Gold Lake近辺はキャンプ地でもあり、まだ早朝のこの段階ではキャンパーの皆さんはテントで眠っている状況。なるべく音を立てずに静かにキャンプ場の隣を通り過ぎると、山に入る手前で最初のエイドステーションが出てきました。ボランティアの皆さんも声をなるべく立てずに、しかし的確にサポートしてくれました。
「ヘッドランプ預かるよ。服はどうする?脱ぐ?今日は暑くなるよ。」と必要最低限の会話に対してこちらがうなずくだけで手際よくジャケットを脱がせてくれたり、ヘッドランプをBibナンバーが書かれたビニール袋に入れてくれたりしました。ほとんど立ち止まることなくエイドを出たところ、目の前にはゲレンデ逆走に続く序盤の難関、Fuji Mountainへと続くトレイルが見えてきました。ここは車道を横切って山道に入るためランナーを応援する家族やクルーの姿が多くありましたが。すでにほとんどの方が移動モード。どうやら気づいたら私はかなり後方にいるようでした。


【A1 Gold Lake~A2 Fuji Mountain(5.0miles/Total: 12.4miles)】
 自分としてはそこまでゆっくり走っていたつもりではなかったため突きつけられた現実に焦りつつもまだまだ序盤だからと言い聞かせて、山登りに突入しました。Fuji MountainはGold Lakeから一気に3000フィート登る最初の山場です。本格的な山登りに入る直前にエイドステーションがあり、最初に預けていたドロップバッグが受け取れました。早くもいざという時のためにとっておいたレッドブルをバッグから取り出し一気飲み。ボランティアの人から「それ効果ある?」と聞かれ、「プラシーボ効果だと思ってます!」とだけ言い残して山登りに。
 しかしこのエイドは車が入れないため何マイルも徒歩で登山しないといけないところにあり、さらに、アメリカらしいワイルドな蚊やハエがブンブン飛び回っているという環境でした。こんな中で嫌な顔ひとつせずに何時間もサポートしてくれるボランティアの皆さんには、本当頭が下がる思いでした。

【A2 Fuji Mountain~A2 Fuji Mountain(2.5miles/Total:14.9miles)】
このFuji Mountainですが、登っても登ってもなかなか頂上につなかい。そしてきつい。明るくなっているので遠くまで見通せるのはいいのですが、上を見ても目指すべき頂上が見えてこないのは精神的によろしくない。
 山の中腹あたりにつくと一気に視界が開け、眼前に壮大な景色が現れました。以下の写真はその時に取った写真です。オレゴンの雄大な自然をお楽しみください。










 雄大な景色に後押しされて、最初の山、Fuji Mountainの頂上に到着。足はキテるとは言えどこかが痛くなっているわけではないので一安心。頂上に到着したところでボランティアの方によるナンバーチェック。さっきまで苦労した下りをそのまま一気に駆け下り、山登り前にも行ったFuji Mountainのエイドに戻りました。相変わらず虫がぶんぶん飛んでいる状況でしたが、またドロップバッグを使えたため、預けていたどら焼きを口に含み、アミノバイタルと共にエイドにあったコーラで胃の中に流し込み、次のエイドに向けて出発しました。

【A2 Fuji Mountain~A3 Mount Ray(5.6miles/Total:20.5miles)】
 まだまだ前半なのですが、このあたりで焦りはじめる事態に。というのも、先ほどFuji Mountainの頂上からA2エイドへの戻りの道中で、ほとんど後ろから来るランナーとすれ違わなかったのです。ということはイコール今回出場した108人の中でかなり、というかほぼビリに近い位置に自分がいるらしいということが徐々に自覚されてきたのです。
 Waldo 100Kは32miles地点にあるA5 Charlton Lakeのエイドステーションからカットオフが始まります。A5の関門時間は午後1時。今のままの悠長なペースで走っていると確実にアウトになってしまう計算です。せっかくオレゴンまで来てDNFだけは避けたい!とギアをいれたのがこのあたりでした。
 さらに、A3 Mount Rayに向かう道で、最後尾のランナーを追うスイーパーさん=死刑執行人(スイーパーに追いつかれるとその場で試合終了となります。)ともすれ違い、追われる恐怖感とも戦うことになり、A5まではペース配分とか後半のために足を持たせるとか、そういった考えを一旦忘れることにして飛ばしはじめました。

【A3 Mount Ray~A4 The Twins(6.6miles/Total: 27.1miles)】

(カットオフの恐怖でかっ飛ばしてエイドに入る私に、ボトルへの給水を申し出てくれたボランティアの方。ここに限らず全てのエイドにいるボランティアの皆さんのホスピタリティは感動ものでした。)


(Mount Rayのエイドステーション。普通にピクニックに来ると楽しそうな森。本人は焦っているので風景を楽しむ余裕なし(笑)。)

 車でのアクセスが容易なA3 Mount Rayで、応援に来ていた家族ともようやく会うことができ、ほっと一息。妻はネットでリアルタイムに発信されている私の順位を見ていたので、自分が何位にいるのか正確な情報を得ることができました。だいたい予想していた通り、かなり後ろのほう。とにかく先を急ごうということで家族との会話もそこそこにすぐにエイドを出発。
 A4のThe Twinsまではだらだらとしつこい登りが続くトレイル。Waldo 100Kでは5回大きな登り下りがありますが、このThe Twinsがちょうど距離的に見て真ん中くらいにあたります。
 家族と会えたことや、自分の順位が正確に分かったこともあり、やる気がでてきました。登りは好きではない私ですが、お昼前になり調子も良くなってきたのかこのあたりが今回のレース中、唯一気持ちよく走れた区間でした。フルマラソンの距離を超えたあたりで、前を行くランナーたちからも落ちてくる人たちも出てきました。前半は抜かれるばかりでしたがここにきてようやく逆にバンバン抜くことができ楽しくなってもきました。ただ今は前を行くランナーと勝負することよりも、とにかく関門をクリアすることが先決でした。

【A4 The Twins~A5 Charlton Lake(4.9miles/Total:32miles)】
 The TwinsのエイドはThe Twinsを登る道の途中にありました。朝の涼しい山の気候はここに到着する頃には一転して夏の暑さとなっており、風もあまり吹かない状況になっていました。ここのエイドではこの絶妙なタイミングでキンキンに冷えたアイスキャンディーが出され、私含め多くのランナーが涙が出るくらい喜ぶことに。このあたりは木陰がないところも多く、ジリジリと照りつける太陽に体力を奪われていたところだったので助かりました・・・。A4を越えると関門のA5までは残り約10キロのゆるやかな下り道。ここでも5人くらいランナーを抜かすことができたのですが、自分でも後半に足が残らないのではないかと心配になるくらいに快調に飛ばしていました。


 下りが終わりフラットな林道を少し行くと、久しぶりに聞く複数の人間の歓声が遠くから聞こえてきました。関門であるA5は目の前!時計を見ても関門時間まで余裕あり!良かった、まだ走り続けていいんだ・・・。張りつめていた緊張の糸が一気に切れ、精神的に楽になりました。そして歓声が聞こえる方へ、走りやすい森林トレイルから抜けた瞬間、眼前に太陽の光を目いっぱい反射して光り輝いている大きな湖が現れました。そこが第一関門のA5 Charlton Lakeでした。





 結局関門には1時間近く貯金を作れて駆け込むことができました。ここでもサポートクルーである家族が先回りしてくれていて迎えてくれました。先ほどのA3では最後尾グループでしたが、今はほぼ真ん中くらいにまで順位が上がっているらしい。関門をクリアできた安心感と、暑さもあってボランティアの方が用意してくれたキャンピングチェアーにどかっと座り込み、預けていたドロップバッグからジェルやS!Capsなどを補充。その間にもボランティアの人が次々来て、必要なものがないかと話しかけてくれ、ボトル2本にそれぞれ水とゲータレードを補充してくれ、ジェルやスナックをわざわざ座っているところまで持ってきてくれました。そして何より気持ちよかったのがポータブルシャワーを背負ったお母さんと娘さん。近づいてきて「いる?」と一言。「お願いします!」と答えると気持ちいいくらいに冷えたシャワーを頭からかけてくれて、疲れと暑さで若干ぼやけていた頭もスッキリと目が覚めリフレッシュできた気がします。ここでやっと半分の50キロ本当の闘いはこの後から始まるのですが、もちろんこの時の私はそのことを知らない

【A5 Charlton Lake~A6 Rd 4290(5.2miles/Total: 37.2miles)】
 久々に多くの人に会えたA5を出て、すぐにまた一人だけの世界に戻る。後ろからは相変わらず歓声が聞こえる中、人気の無い山に行く寂しさは昼間でなければ辛かったかも。しかしそんな感傷に浸る暇すらなくすぐに山登り。このA5からA6は後から振り返ると細かいアップダウンがあったものの比較的フラットな区間でした。その後に続くThe TwinsとMaiden Peakという悪魔の山々を前にした最後の楽園エリアでした・・・。
 Waldo100Kのコースは同じような場所がひとつと無い美しいオレゴンの大自然の中を走るシングルトラックのコースなのですが、特にこの区間は高さが背丈からちょっと上くらいの高さの木々が続き、走りやすく美しい箇所でした。高さが無い分、木陰も無いので直射日光に晒されかなり暑かったのですが・・・。


【A6 Rd 4290~A7 The Twins(7.5miles/Total: 44.7miles)】
 低木が続くフラットな道を抜けると、車道が急に現れました。そこにテーブルと日よけの簡易テントがあるだけのエイドステーション、A6がありました。ここでもアイスキャンディーが配られたので迷わず2本ほどいただく。これがこの後からの長く辛い戦いへのプレリュードとも知らず・・・。A6を超えるとThe Twinsへと続く山登り区間に入ります。木々もまた再び巨木になり、シダ類も生い茂る亜熱帯の森のような雰囲気になり、木陰に入って走ることができ、涼しくなってきました。
 普通であればここから後半に向けて一気に突き進もうというところですが、なんとここに来て急にお腹の調子が悪くなってきました。さっき食べたアイスが原因なのか、飲み続けている水が原因なのか、とにかく今すぐトイレ状態に。しかし、さっきのエイドにはトイレはなかったので戻ることもできず、次のエイドに向けて突き進むことに。ただし、この時は知らなかったのです。次のエイドにもトイレはないという辛い現実を・・・。
 この区間、山との戦いも実は大変だったのですが、それ以上に自分のお腹との戦いに苦しめられていました。さらに悪いことに(?)、若いお兄ちゃんのペーサーをつけた60代と思しきベテランランナーのおっちゃんといい感じで併走する状況になり、強制的にグループラン状態に(汗)。必死にトイレを探している目がライバルをにらみつける目と勘違いされたのか、おっちゃんもぽっとでのアジア人には負けられん!と思ったかどうかはわかりませんが、全く図らずもペーサーの兄ちゃん含め3人で抜きつ抜かれつのし烈な順位争いに突入することになってしまいました・・・。最終的におっちゃんがあきらめるまで5マイル近くデッドヒートを繰り返す状況に。私的にはおっちゃん以上に自分のお腹とのデッドヒートに幾度となく負けそうになってしまっていました。お腹との戦いの結末ですが、おっちゃんとの死闘を勝ち抜いた後、運良く簡易トイレを見つけ、事無きを得ました。そこでちょっと落ち着いて地図とエイドステーション情報を見て、次のトイレはどこだろう〜?と確認したところ、ゴールのスキーエリアまで35マイル以上トイレがないという恐るべき状況だったと判明しました。次回から携帯トイレは絶対持って行こうと、強く誓った瞬間でした。

【A7 The Twins~A8 Maiden Peak(5.2miles/Total: 49.9miles)】
 お腹との戦いばかりを強調してしまいましたが、この区間はA4と同じエイドステーションに戻ってくるループコースで、往路よりも復路のコースのほうがキツい登りが続く難所でした。お腹とのし烈な戦いで精神力も弱ってしまった自分にとって、登ってちょっと下りてまたぐっと登るという地味に過酷な山道に辟易しはじめていました。まだ太陽はギラギラと大地を照らしつけていましたが、少しずつ西の空に傾きはじめているのがわかりました。暑さが弱まっていきランナーたちにとって優しくなっていく太陽と反比例するように、コースはいよいよ最後の難関Maiden Peakに向けてこれ以上ない荒々しい本性を見せ始めることになっていきます。



【A8 Maiden Peak~A9 Maiden Lake(5.1miles/Total: 55.0miles)】
 

 既にゴールまで残りは20キロ弱となっていましたが、そこに行くまでに聳え立つのは今回のレースで最も高度が高い7818 ft / 2383 mを誇る山、Maiden Peak。その絶壁としか形容できない鬼のような登りの手前にエイドステーション、A8 Maiden Peakがありました。ここも簡易なテーブルと椅子が数脚ある程度の簡単なものでした。私以外にも5,6人の先客がおり、ゆっくりと談笑していました。既にA7の時点で関門の4:30pmはクリアしていたので、後は完走と認められる15時間以内でのフィニッシュを目指すだけの皆さんということもあり、かなりリラックスした様子で用意されていたクッキーを食べたり、ランナー同士で今日のレースについてなどの感想を交わしているような雰囲気でした。しかし、よくよく話を聞いてみると皆、ただゆっくりとしていたのではなく、このエイドのすぐ後ろから始まる終わりが見えない絶壁を前にして、行こうかどうしようか迷っていたのでした。
 私の足は既にここに至るまでの行程で一旦座ってしまうと立ち上がるのがかなり困難なくらいにダメージがあったので、立ったまま炭酸が抜けたコーラをコップ2杯分飲み干し、後は手に取れるだけのトレイルミックスをザクっと掴み、先客の皆さんがまだ誰も動かない中、一足お先に絶壁に向かって歩いていきました。ここまで来たらはやくゴールしたい、その一心だけが体を前に進ませていたのだと思います。
 しかしそんなやる気も3分後には吹き飛んでいました。いくら登っても終わらないどころか、休んでちょっと座ろうと思っても、平坦な所がほとんどないので座って一息つくことすらできない、そんな状況に心が折れるどころか、終わりが見えないこの苦痛に対して悲しくなるどころか、ふつふつと怒りが湧いてくる始末。それくらいキツかった・・・。これは50マイル(約80キロ)を過ぎてから登る山じゃないということだけは明らかでした。
 ただ文句をいくら言っても頂上には辿りつけないという当たり前の事実に気づき、もうタイムもへったくれもないやと、絶壁に対して時に這いつくばりながら、10メートル登るのに5分くらいかけてゆっくりと登っていったのです。
 周りの木々がまばらになり、周りの風景が岩場だらけになってきたの見て、そろそろ頂上じゃないかと思った所にどうみてもチェック係のおじさんが一人いるのを見つけました。ついに頂上か!と喜んだのもつかの間、

「よく来たねえ。お疲れ様。でも頂上まであと2マイル(約3.2キロ)しかないから頑張ってな!」

 もう一歩も坂を登りたくない自分にとっては、あと3キロもこの地獄が続くという現実にただただ押しつぶされそうになりました。

 山登りというのは諦めなければ、歩みを止めなければ必ずいつか山頂まで辿りつける。残り2マイルという死刑宣告を全身に受け、もはやこれ以上登る足も残っていないという状況でも、上に向かって少しずつでも動き続ければやがて終わりはやってくる。

 そんな言葉を繰り返しながら、自分はただ足を前に出すだけのマシーンなんだと言い聞かせ、岩場を登りつづけること数十分。ついに夢にまで見た頂上にたどり着くことができました。頂上にはランナーをチェックする男女2名のボランティアの姿が。これ以上登らないでいいんだという嬉しさと、人に会えた嬉しさが相俟って、視界を遮るものが何もない大空に向かって「YES!!」と叫んでいる自分がいました。
 ボランティアのお兄ちゃんも「後は下るだけだ。よくやった!」と肩を抱きしめてくれ、私も笑顔なのか泣いているのかよくわかならい顔して力強く握手で返しました。
 頂上からの下りでさっきまでの私と同じように苦痛に歪んだ顔でゾンビのように登ってくるランナーたち何人もすれ違いました。後少し、頑張ろう。とすれ違う度に声をかけつづけている自分がいました。ここまで来たんだから一緒にゴールしよう。もう順位とか関係なく。今日初めて会い、そして恐らくもう今後二度と会うことがない人たちなのに、なぜかもう何十年も一緒に走り続けている仲間のような、そんな意識が自分の中で生まれていました。

 先ほどの「あと2マイルだよおじさん」も相変わらず同じ場所で下から登ってくるランナーたちに声をかけつづけていました。後は下るだけ。それはその通りだったのですが問題は私の両膝はもう普通に歩けないほどボロボロになってしまっていました。一歩踏み出す度に悲鳴が出てしまうほどの痛み。さらに悪いことに、両足の裏側も全面靴擦れ・水ぶくれ状態。一歩進む度に、グチャグチャと足裏に溜まった水を踏み分けなければ歩けない状況に。その上右足親指の感覚がもうずっとなくなっていて、完全に爪がいっているのが靴をはいたままでもわかるくらいでした。
 普通だったら絶対に歩いたり、ましてや走ったりなどはできない状況だけど、ここで止まってしまってはここまで苦労した80キロの旅の意味がなくなってしまいます。もう1ヶ月でも2ヶ月でも、何なら半年くらい走れなくなってもいいや、と気持ちを切り替え、痛みから逃げるのではなく全身で受け止めて足を動かし続けました。痛みを受け止めるのではなく、頭から痛みという感覚を消し去る作業というのが正しいかもしれません。しかし人間の体は面白いもので、両足膝がどっちもひどく痛んで着地する度に顔が歪むくらいの厳しい状況だったにも関わらず、両膝がまるでお互い示し合わせたかのように、交互に痛みを取って代わってくれるという現象が起きました。何を言っているかよくわからないかも知れませんが(笑)、右膝がもう耐えられないくらいに痛くなった時に、右膝の痛みがすっとひき、代わりに左膝がものすごく痛くなるというような、両膝の痛み分担作業が始まりました。左膝の痛みが限界点を超える手前で、今度は右膝が、左膝の負担を肩代わりして痛みを引き受ける。今思い返しても不思議な体験でした。

【A8 Maiden Lake~Finish(7.5miles/Total: 62.5miles)】
 あれだけ登りの時に苦しめてくれたMaiden Peakから下りた谷間のようなところにひっそりとその今回のレース最後のエイドステーションはありました。エイドから下ってくるランナーは下からはよく見えるようで、すでに薄闇に包まれ始めていたにも関わらず、私の姿が見えた瞬間からカウベルや拍手、大声を出して誘導してくれました。エイドでは暖かいスープも用意されていました。既にかなり体が冷え始めていたのでスープの温かさは骨身に染み入りました。するとそこにいた一人の女性ボランティアの方が、

「あなた、アーリントンから来たんでしょ?遠くからよくきたねえ。私も昔住んでたのよ、そこに。そのことを伝えたくてずっと待ってたのよ。」

 と同郷を見るかのように話しかけてきました。なんで初対面の私の出身地とか、そんなに知っているんだろうと不思議に思いもしましたが、恐らく今回の百数十名のエントリーリストの中から同郷の街の名前を発見し、名前とBibナンバーをあらかじめ調べていたのでしょう。延々と10時間以上、来るかどうかもわからない私を待っていてくれた。本当に、言葉が出てきませんでした。

「またアーリントンに帰ってきたら一緒に走りましょう。」と伝え、うんうんと頷く彼女はまだたくさん話したがっていたようでしたが、「暗くなる前にゴールしなきゃね。頑張って。」と笑顔で送り出してくれました。残り7.5マイル、約12キロの行程を気力だけで駆け抜けていきました。もうちょっとした登り下りでも走ることができなくなっており、平坦な道だけ走れる状況でした。そんな、限界を何度も越えて、それでも愚直に前に進み続け、15時間以内のゴールは厳しいな、悔しい、けどしょうがないか、と顔をあげた時、遠くに懐かしのゲレンデやロッジが見えてきました。

 ゴールタイムは「14時間54分02秒」。何とか15時間以内でのゴールを達成しました。朝の5時にスタートしてゴールしたのは夜の8時前。最後の7.5マイルの間にもそれなりに色々と物語は起こったのですが、最後のエイドを出てからは正直断片的な記憶しか残っていません。

 オレゴンは夏の間は夜の9時近くまで明るく、私がゴールした時もゲレンデは太陽が沈む直前の西日を受け、黄金色に染まっていて、まるで他人事のように、キレイだなあと見ていたのを覚えています。

(ゴールした瞬間。レースディレクターのCraigさんから15時間以内の完走者にのみ配られるバイザーを手渡ししてもらいました。)

レースを終えて


 人生初の100キロレース。しかも一度も走ったことがないオレゴンの山々を駆け抜けた壮大な旅が終わりました。何だか人生3回分生きたような、そんな悲喜こもごもの出来事続きで、当たり前ですが全てを文字で表すことなんてできません。ここまで書いてきて、とにかく最後にわかったことと言えば、100キロを完走するという、極度にドMなことを本当に分かってもらうためには結局100キロ走ってもらうのが一番、ということです。なんだこのオチは・・・。

 オレゴン良いとこ一度はおいで。是非皆さんも機会があればWaldo 100K、走りにいってください!
 西海岸のレベルの高いトレイルランナーの皆さん、こんな中途半端な私を暖かく迎えていただきありがとうございました!全てのエイドステーションでお世話になったボランティアの皆さん、いつかまたどこかでお会いできたら、最高の笑顔でありがとうと言わせてください。そして何より半年以上もひっぱった挙句、ここまでの長文・駄文に付き合っていただいた皆さん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

(完)




追伸:レース後、案の定両足の裏全面水ぶくれで、右足親指の爪は黒く変色した後に取れ、膝も曲げられず、まともに歩けない状態になりましたが、約1ヶ月でまた走れるようになりました。人間の体ってほんと、不思議。

最後に記録として、今回レースで使用したウェアや装備品を以下にまとめておきます。

【Race Report】2013 Stone Mill 50 Mile




Stone Mill 50から見える米国の手作りトレイルランレースの魅力

Stone Mill 50 Mileはメリーランド州のMontgomery Countyで2010年から始まったトレイルランレースです。私は昨年の2012年に初参加し、今年が2回目です。思い返せば昨年のこの大会が私にとって人生初の50マイルレースでした。正直トレイルの走り方すらよくわかっていない状況の中、後半ボロボロになってまさに這うようにしてゴールした、そんな思い出深いレースです。

今年で3回目と歴史が浅いレースですが地元の老舗ランニングクラブである「Montgomery County Road Runners Club 」が運営。手作り感溢れる中、細かいところにはちゃんと手が届いています。参加費もこのご時世では破格の35ドル!その代わりゴールしてもメダルもないし、Tシャツなどももらえず、走ったことの証明としては汗とドロと埃まみれのBibが手元に残るだけ。米国のトレイルランニングのいいところは地元のクラブなどが手作りで作る50マイルや100Kレースなどがまだ結構あるということです。以前にもブログで書きましたが、そんな気楽さや地元のランニングコミュニティのネットワークが米国でのトレイルランやウルトラランニングがブームで終わらず何十年も根付いている一つの理由なのかもしれません。

レース当日

2013年11月16日(土)のレース当日。前日は仕事の関係などで準備が遅れて実質3時間しか寝られなかったんですが何とか3時に起床。おにぎりとスープで早すぎる朝食(夜食?)を家族を起こさないようにしながら取りました。自宅からスタート/フィニッシュ地点であるWatkins Mill High Schoolまでは車で約50分。まだ真っ暗の明け方4時に家を出て5時前には会場に到着。チェックインとBib受け取りを済ませた後、また車に戻ってエネルギー補給とレース用の着替えをして時間を潰しました。5時半頃1つだけ開いている学校のグラウンド脇のトイレに行くと大行列。特に個室が1つしかないため大変でした。でもそこは米国人。焦ることなくレースのことやシューズのことを列の前後の人たちと楽しそうに話しながら待てるその余裕さが羨ましい限り。そんなこんなで準備しているうちにスタート時間の6時が近づいてきました。まだ周りは暗い中、ヘッドランプをつけた349名のトレイルランナー達がぞろぞろと校舎脇のスタート地点に集まり、全員でカウントダウン。そしてレースディレクターのDoug Sullivanの合図で6時ちょうどに全員が走りだしました。今年は昨年の極寒とは打って変わって暑くもなく寒すぎるわけでもない16、7℃の程よい気温だったのと、終日曇だったこともあり、昼間でも気温が上がることはなく、レースのコンディションとしてはある程度理想的でした。ただ前夜に雨が降ったため、トレイルのコンディションとしてはところどころ水たまりがあったりMuddyな感じでしたがコース途中で何回か小川を越える必要があり結局は濡れることになりますので途中からはあまり気になりませんでした。

レースギア

トレランレースのスタイルというのが自分なりにかなり確立されてきており、最近では大きく装備品を変えることはなくなりました。Waldo100Kとほぼ同じ装備ですが以下がリストです。

シューズHoka One One Stinson Evo
ハイドレーションベストUltimate Direction SJ Ultra Vest
ジャケット:Brooks
パンツSalomon Men's EXO S-Lab Twinskin Shorts
バイザー:Mile 29まではRock'n Roll Marathonで買ったもの、Mile 29以降の後半はWaldo100Kで完 走後の記念品としてもらえたものを使用しました。
グローブ:Nikeの昔買った薄手のものでかなり使い込んでボロボロになっていますが、極寒でないレースでは重宝しています。
ドロップバックVictory Sportdesign 「BEARⅡ」(Mile 29)、NYCマラソンのフィニッシャーズバック(Mile 43)
補給食Honey StingerS!Caps(電解質補給タブレット)

補給について

Stone Mill 50では2箇所ドロップバックが置けるエイドステーションがあります。1カ所目はMile 29(約47キロ)のStone Mill Aid Stationでジェル+S! Capと共に米国でのリポDと言われている「5-Hour Energy」を投入しました。これが絶大な効果を発揮してくれて一気に回復した気がします。2箇所目のMile 43(約69キロ)のRiffleford Aid Stationでも5-our Energyを注入しブーストしました。あと、日本人の補給食の定番と言えばおにぎり!おにぎりは2箇所あるドロップバックポイントでそれぞれ1個ずつ食べました。すぐには効かないですが後々効いてくるので長距離ランには欠かせません。

レースでは約5マイル(約8キロ)ごとにエイドステーションがあるので毎回立ち寄る度に2本あるボトルのうち、1本にはお水、2本目にはゲータレードをいれてもらいました。またコーラかマウンテンデューの炭酸ドリンクとテーブルにあればジェル、S!Capも1つずつ取り、余裕があればクッキーなどの固形食も取るようにしました。ボランティアの人たちが簡易ラーメンや特製スープを出してくれるエイドステーションもあり、後半本当に助かりました。また、レース中は1時間毎に必ずジェルとS!Capを取ることを心がけていました。水分補給では登りで歩く時に必ずゲータレードと水をそれぞれ一口ずつ飲むようにし、脱水症状にならないように心がけました。6月に走ったNorth Face 50では暑さもあって水分補給していても後半脱水症状に陥りキツかった反省から喉が乾いていなくても必ず20分ごとに水分は取るようにしていました。

 

レース展開

レースでは昨年の反省から上りでは前半元気でも無理をせず足を残すことを最優先に慎重に走りました。登りではなるべく歩き、平坦な箇所になってから走るということを繰り返しました。鏑木毅さんのUTMBでの走りから学んだ、登りでは無理せず、ただし登りの途中に2、3歩でも走れる箇所があれば必ず走るということも足を最後までもたせるだけでなくてタイムを縮めるのにも地味に役立ったと思います。

全体として昨年はあんなにキツイと思ったコースが今年はかなりフラットに感じたのは間違いなく夏のWaldo 100Kの地獄の山登り×3回を乗り越えたからです。キツかったけどWaldo100Kに出ていて本当に良かった。今回50マイルの道のりをほぼ1マイル11分~12分の間のイーブンペースで走れたのはWaldo 100Kの経験もそうですがこの1年間ほぼ毎月のように色んなレースに出てきた成果が現れたのかなとも感じました。48マイル地点からのゴールまで昨年は登りの連続に悩まされたのですが今年はそこでも走りつづけることができ、最終的に昨年は日が落ちてからのゴールでしたが今年はまだ明るいうちにフィニッシュできました。タイムも9時間38分と、昨年の11時間17分から約90分も短くできました。10時間台でのゴールをまずは目指していたのでかなり嬉しかったです。


 

50マイルトレイルランを完走するための私なりの5つのルール

素人トレイルランナーの私ですが何度か50K、50マイルレース+100Kレースを走ってきたおかげで自分なりの必勝法が見えてきた気がします。お読みいただいている方に少しでもお役にたてばと思い以下にまとめてみました。

1.前半では絶対無理しない!でもなるべく止まらない!
多くのランナーは最初元気なうちに登りもグイグイ走ったり、前のランナーをバンバン抜いたりしますが、焦ってその流れに乗る必要はありません。前半に抜かれても30マイル以降で抜き返すことができますので気にせず先に行ってもらうのが良いです。毎回私も前半飛ばしがちになるのですが今回は我慢の走りを貫くことができました。上述しましたが、「登りでは焦らず歩く!でも少しでもフラットな場所があったら数歩でもいいので走る!下りは歩幅を狭めて慎重に!」これが50マイル以上の長距離トレイルレースを完走するための私なりのコツです。

エイドステーションで長居する人もいますがあまり長くいるとダラダラしてしまったり精神的に切れてしまうことがあるため、よっぽど疲れていてこれ以上は進めないというその時が来るまでエイドステーションでは腰を下ろさずなるべく立ったまま必要な補給だけをしてまた走りだしたほうがいいとは思います。私も今回は1箇所目のドロップバックで着替える時だけしゃがみましたがそれ以外はイスにも座らず最後までいけました。

2.足だけで走らない!
大事なことなので何度も言いますが(笑)、短距離のレースとは違い50マイルなどの長距離トレイルレースは後半にどれだけ足を残せるかが全てです。足を残すためには足だけで走らないということが重要です。これはなかなか教えられてすぐできるというものではないのですが意識して腹筋や背筋含めたコア、丹田などを意識して走ることができるようになると足への負荷を減らして走ることができます。着地は踵でもミッド・フォア走法でも自分にあった走法でいいと思いますが、全身を使って無理なく、軽く、楽に走る走り方を身につけることが重要です。「楽に、軽く」というのは『Born to Run』の中でカバーヨ・ブランコがトレイルを走るコツとしても言っていますがまさにそれが基本中の基本ですね。

3.痛みは必ず消える時が来る!
これも50マイルレースなどの長距離を走った人ならわかると思うのですが、最後までどこも痛くならずゴールに行けることってほとんどありません。途中から太ももが攣りそうになったり、膝に痛みが出たりすることは私の場合ほぼ毎回起こります。ただそこで終わった・・・と諦めるのではなく、全身を使って足のみに負荷をかけずに慎重に走り続けることであるポイントで痛みが消えることはよくあります。伝説的なウルトラランナーであるAnn Trasonさんレベルになると、ある程度痛みがひどくなると逆にそれ以上の痛くなることはない!("It hurts up to a point and then it doesn't get any worse.")、と達観していますが(笑)、これもある程度は本当です。Waldo100Kの時には両足膝が80キロを超えたあたりで限界を迎えたのですが、面白いことに右膝が痛い時は左膝の痛みが和らぎ、逆に左膝の痛みがきつくなると右膝の痛みが弱くなるなど、全身が協力して前進させてくれているような不思議な体験をしました。もちろん痛いことは痛いのですが痛みの限界を迎えるとその痛みに慣れることができ、その痛みと共に走り続けることができました。ですので痛くなったからといって簡単に諦めるのではなく、様子を見つつ時には痛みを楽しみつつ走ることも50マイル以上のレースを完走するのには重要なポイントです(もちろん練習の時に痛くなったら走ってはいけません(笑))。

4.好きな音楽で後半ブーストをかける!
私は普段のトレーニングではよくiPhoneで音楽を聴きながら走っているのですが、レースではほとんど聴くことはありません。特にトレイルレースではシングルトラックで道が狭い中走るので周りの音や、特に後ろから来るランナーの足音が聞こえないと危ないからです。ただし今回はMile 29の1回目のドロップバックがあるエイドステーションから好きな音楽をiPhoneで聴きながら走ってみました。Waldo 100Kの時、後半精神的に結構キテしまって音楽でもあったらまた違っただろうなと感じたことも要因ですが、Hal KoernerさんやTimothy OlsenさんもWestern States 100などのレースでは音楽聴きながら走っていたのでまあOKなのかなという気持ちもありました。もちろん大音量で聴くことはせず、周りの音も聞こえる程度のボリュームにしました。最初からではなく途中から聴き始めた理由として精神面でのテコ入れという意味もありますが、29マイルあたりまで来るとランナー間の距離もかなり広がっていてトレイルが混雑することがないということもありました。それでも時々後ろの状況を確認することはしましたが。

音楽の効果は絶大で、中盤を過ぎて精神的にも疲れ始めていたのが嘘のように元気になり、しかも曲によっては走るのにちょうど良いBPMの曲もあり、先ほどまでの疲れがどこにいったのかというくらい走れたのは驚きでした。メリーランドの山奥で東京事変やウルフルズ、サンボマスターを絶叫しながら走るランナーは長い歴史の中でも自分が初めてだったんじゃないかな?(笑)

5.辛くなったら頭の中でマントラを唱える!
音楽とともに私の足を前に進ませてくれたのはマラソンマントラ(おまじない)、つまり自分を叱咤激励する言葉たちでした。マントラについてはRunner's Worldにも記載されています。私の場合、スコット・ジュレクさんの「This is what you came for.(このためにお前はここに来たんだろう?)」や、上述したカバーヨ・ブランコの「軽く、楽に走れ。」や、2011年のUTMBで鏑木毅さんが言っていた「鏑木毅たれ。」や、2012年UTMFでの横山 峰弘さんの「まだ続けられる。このレースの後、まだ先がある。」や、山本健一さんの「人はコントロールできないけど自分はコントロールできる。」「人ってすごい力を持っているね。人の足でこんな所まで来れるんだ。」などの、時には走りにはあんまり関係ない言葉であっても(笑)辛い時に頭の中に自然と浮かんできて、一歩、また一歩と先に進ませてくれました。

あと、もちろん家で待ってくれている家族の顔も浮かんで頑張らせてくれたのは言うまでもありません(笑)。




 

最後に

 Stone Mill 50 Mileの最後は急坂を一気に登らせてゴールという鬼コースなのですが、↓
  (写真だとわかりづらいですが鬼坂です。)

その時もそしてそこにいたるまでの最後の数マイルを走っている間、これが米国で走る最後のトレイルレースだという現実が疲れきった身体と頭に突き刺さってきて、急に5年間の色々な思い出、トレイルレースで知りあった多くの友人や素晴らしいラン仲間たちのことが浮かんできました。これで終わりという寂しさや色んな感情が混ざって1人泣きそうになってしまいました(笑)。そして、最後の坂を全力で駆け上がり、自分にトレイルランを教えてくれたこの米国での最後のレースを無事終えることができました。最初にも書きましたがStone Mill 50ではゴールしてもメダルもシャツも記念品も何ももらえません。ただしそこには待っててくれたレースディレクターやボランティア、他の選手の家族、既に走り終わった選手の心からの暖かい笑顔と拍手がありました。この笑顔、走る仲間への惜しみないやさしさこそが私が米国のトレイルコミュニティで学んだ最も大切なことだと思います。 ゴール後一気に体も冷えてくるのですぐに帰ればいいものの、なぜか1人でゴール付近から動けず、暗くなり始めるまでの1時間くらい、後続のランナーたちの様々な思い、表情で迎えるゴールを私は笑顔で、時には声を出して手を叩いて頑張れ、頑張れと応援し続けていました。
これで私の米国でのトレイルランの旅はひとまず終わりになります。この5年間、自分はランナーとしてというよりも米国のトレイルを走ることで人間的に成長させてもらったように思います。日本に戻っても、ここで学んだことを忘れないように、そして少しでも多くのトレイルランナーの皆さん米国でのトレイルランの魅力を伝えていければいいなと思っています。


とはいえ自分はランナーとしてはまだまだ進化途中。これからも時間的に距離的にも記録更新できるように日本に帰っても引き続き頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願いします!

【Stone Mill 50 Mile結果】
日時:2013年11月16日(土)
場所:Montgomery County, Maryland
距離:50マイル(約80キロ)
順位:63位(完走者251人中)
タイム:9時間38分33秒


Sunday, August 25, 2013

【Race Report】Waldo 100Kレースレポート(前編・出発〜レース前日まで)

                     

 いよいよその日がやってきました。日本がお盆休み中にも関わらずWaldo 100Kのために出発直前まで仕事をこなし、それでも終わらずに宿題も持ち込んでオレゴンの旅に出発。

 オレゴン州ポートランド国際空港(PDX)にはワシントンDCダレス国際空港(IAD)から直行便で約6時間。夜7時発の予定が飛行機がまだダレス空港に到着していないということで1時間以上遅れるという幸先の良い?出だし。ポートランドに到着したのはオレゴン時間で23時過ぎ。3時間の時差があるDC時間だと夜中の2時・・・。眠たい目を擦りながら予約していたレンタカーをピックアップし、空港近くのホテルにチェックイン。疲れていたけどロビーで販売していたカップラーメンがあまりに美味しそうに見えたので値段も確認せず勢いで購入し部屋で一気食い。美味しかったっす。そんなこんなで移動続きの初日は終了。ぐっすり眠れました。

   (宇和島屋スーパーマーケット。中には紀伊國屋書店も入っています。)

 2日目、ポートランドから車で3時間かけてレース会場であるWillamette Pass Ski Areaに向かう。途中で日本食が調達できる日系スーパーマーケットUwajimayaに寄ってどら焼きやらカップラーメン(豚骨)、おにぎり、栄養ドリンクなどを調達。こうやって日本食やお菓子が現地でも買えるのはありがたいです。ついでにスーパーに併設されている日本食レストランで豚しょうが焼き定食を食べて腹ごしらえ。DCでもこんなに日本食関係充実してないですよ。いいなあポートランド。昼食後、ノンストップドライブで南下。ユージーンを超えたあたりから風景が一気に大自然に。どんどん標高も高くなっていき、ポテトチップスの袋がパンパンになったり、耳の調子も変な感じになってきたりして、いよいよ来たか!という感じ。

(レース会場近く。)

 山に入ってよく目につくのが「Fire Danger」の標識。最近雨が降っていないのでかなり乾燥しているようで、どこも山火事の危険度が「EXTREME」もしくは「HIGH」に。ちょっと心配だけど、トレイルの状態はある程度乾燥していたほうが私は走りやすいのでいい感じで走れる予感。


 予約していた宿、Willamette Pass Innにチェックインしたのが17時すぎ。普段はスキーリゾートということもあり、周りは驚くほど何もない環境だけど、近隣のロッジやキャンプ場はWaldo 100Kの参加者でどこも満室。Waldo 100Kは単なるレースに留まらず、ローカルビジネスに一時的とは言え結構貢献しているイベントだと感じました。

 (泊まったWillamette Pass Inn。アットホームないい宿でした。)

チェックイン時に受付の夫婦にも、
「あなた、わざわざ100キロ走るために東海岸から来たの?物好きねえ。Waldo 100Kは地元民だけのレースじゃなくなったのね。」としみじみ語られた。このロッジに泊まっている他のお客さんもWaldo 100Kに出る人達ばかりだから朝早から音出しても大丈夫よ〜、とウインクされつつ鍵を受け取る。

(周りのお客さんもみんなWaldo 100Kに出る人たち+家族+クルー。)

夕方6時すぎにロッジを出て事前ミーティングがあるレースのスタート/フィニッシュエリアまで車で移動。約10分で到着。チェックインテントの後ろにかなりの坂が見えますがあえて見ないこと(笑)。


(パープル色のテントがチェックインテント。その後ろには明日スタート直後に駆け上ることになる急坂が・・・。)

ミーティングが19時からだったので、チェックインを済ませてからの空いた時間でメインロッジ内のカフェで提供されていた1人10ドルでパスタ食べ放題の食事を頂くことに。3回目のおかわりでギブアップするも100キロ走る分のカーボローディングは完璧!なのかな?


(チェックイン中。スタート時間を午前3時のアーリースタートに変更しなくていいの?と何度か聞かれる。そんなに遅そうに見えましたか・・・。)

(予想に反して結構美味しかった食べ放題パスタ。)

 ある程度お腹が落ち着いたところでふと周りを見るとみんな速そうなランナーばかり。Tim Olsonさんかと見間違えるような長髪、金髪のイケメンや、Hal Koernerさんのようなベテランいぶし銀さんなど、あまり地元ヴァージニア州のレースでは見かけないような、いかにもトレイル慣れしている歴戦の猛者(のようにしか見えない)ランナーがずらり。まだ事前ミーティングすら始まっていないうちから、ウルトラランナーとは程遠い、観光客にしか見えない自分の場違い感がハンパない状況に。

(トレイルランの猛者達?写真ではわかりませんが皆レベル高そうです。)

19時からの事前ミーティングはロッジ内ではなくスタート/フィニッシュ地点で行われました。8月とはとても思えないほど寒くてダウンジャケット持ってくるんだったと後悔。ミーティングではレースディレクターのCraig Thornleyさんからレースでの注意事項などが説明された。Craigさんは今年でレースディレクターから退くということで、後任のMeghan Arbogastさんの紹介もありました。このミーティング中にも周りのランナーは顔見知りランナーばかりのようで頻繁に握手、ハグが繰り返されており、ここでも場違い感が・・・。

(レースディレクターのCraig Thornleyさんによるレースの説明。)

(事前ミーティングに集まる参加者たち。)

 ミーティングでは、ドロップバックを預けるのが今日の夜9時までだとアナウンスが。当たり前のように手ぶらで来てしまったため、かなり焦りました。そんな大事なことちゃんと事前に言っといてよ!と思ったのですが、事前にCraigさんから送られていたメールにちゃんと書いてました・・・。すいません・・・。

(ドロップバックをおけるエイドステーションは4箇所あり、それぞれの分けて置いておく。)

ミーティングが終わったのが20時。後1時間しかねえ!ということで、ミーティング後車を飛ばしてロッジに戻り、急いでドロップバックをまとめ、また車を飛ばして戻ってきました。何とか締切りの10分前に預けることができ一安心。焦りました。

 今回ドロップバックを預けたのは、A2のFuji Mountain(最初の山登りの場所で、登る前と降りた後のエイドステーションが同じ場所)とA5のCharlton Lake(32マイル地点。最初のカットオフが行われるエイド)。A2のほうにはヘッドランプや薄手のジャケット、手袋など明け方のみに使用する装備を預けることが目的だったので、レッドブル1缶とどら焼きや電解質タブレットを少し入れた程度。ただ、ヘッドランプなどの夜用装備はA1のGold Lakeでボランティアの人たちがしっかり回収してくれました。これが分かっていればA2のドロップバックは必要なかったかも。A5に預けるメインのドロップバックはVictory SportdesignBearⅡを使用しました。

(このBearⅡは他のドロップバックよりも目立ったため、エイドステーションに入ってすぐにボランティアの方が持ってきてくれました。機能性も高くお気に入りです。)

 BearⅡドロップバックの中味は以下の通りです。

  • アミノバイタルPro(レース前、途中でのアミノ酸摂取のため)
  • ハニースティンガーエナジージェル(色々ジェル試したのですが自分にはこれが合っているようです)
  • 絆創膏(言わずもがなも靴ずれなどの応急処置用)
  • 爪楊枝(補給食を取った際に歯に詰まったのを取るため。A型なので気になると集中できなくなるので・・・)
  • Aleve(鎮痛剤。レース前から痛めていた腰痛対策用。ロキソニンよりも効きます。)
  • 着替え用のシャツ、バイザー、靴下(念のため持って行ったのですが結局着替えませんでした。)
  • レッドブル(2つのドロップバックのどちらにも入れました。効き目があったかは正直わかりませんので気分の問題です。)
  • 日系スーパーで購入した栄養ドリンク(ハチミツを主体としたオーガニック栄養ドリンク。これも効いたのか今ひとつ実感無し。)
  • どら焼き(お餅やカステラがそんなに好きではないのでそれらの代わりとして。)
  • エレクトロライト(電解質タブレット)Nuun(電解質をレース中に簡単に補給するにはタブレット型がベスト。ボトルに一粒投入するだけで良いので簡単。)
  • S!Caps(電解質、塩熱サプリ。米国のウルトラマラソンでは大抵このS!Capsがエイドステーションに用意されています。そこでも補給できますが念の為に自分でも持って行きました。)

(Bear Ⅱドロップバックの中。細かいポケットが多くあり小さいものでもしっかりと分けて収納できます。)

 アメリカのトレイルレースは大体5〜7マイル毎にエイドステーションがあるので、ドロップバック自体にそこまで気合を入れなくても大丈夫なわけですが、備えあれば憂いなしですので私はいつも多めに物を入れています。自分で運ぶわけではないですしね。

 そんなこんなでいよいよレース前日。オレゴンに着いてからはドタバタしっぱなしで、実感もわかず、レースに向けての心の準備もできていない中、10時前になったのでとりあえずベッドに入る。周りの部屋の人達も寝ているのか時折通るトラックのエンジン音がするくらいでかなり静かな夜でした。目を閉じてもすぐには寝られず、はたして明日、5時のスタートまでにテンションはあがるのだろうか?寝坊しちゃわないか?腰痛はひどくならないか?何度もある山登りで心が折れないか?山登りもそうだけど、そもそもちゃんと100キロ完走できるのか?などなど、不安の種は尽きることなく浮かんできていました。

 Waldo 100Kウルトラマラソン、はたしてどのような結末を迎えたのか?
 汗と涙のその先に見えたものとは?感動の?レース記録は後編でお伝えします!

(頑張ってきます!)

Friday, August 16, 2013

【Race Report】第23回HAT Run 50K(2011年3月19日)


はじめに

前回、米国に駐在してからダイエット目的でジョギングを始めてからマラソンを走るまでについて書かせていただいたのですが、今回は私にとって人生初となったトレイルレースについてです。

 2010年にワシントンDCで開催された第35回Marine Corps Marathonを4時間19分46秒で何とか完走した後、ラン仲間からトレイルランニング、ウルトラランニングという世界の存在を教えてもらったことについては前回書いた通りです。私がロードからトレイル、ウルトラの世界に足を踏み込むきっかけとなった最初のレースは、Marine Corps Marathonから約5ヶ月後の2011年3月19日にメリーランド州サスケハナ州立公園で開催された50キロレースである、第23回50K HAT Runでした。

2011年3月11日のこと

2011年3月と言えば、東日本大震災が起こった月でした。少々話は脱線しますが、3月11日の当日、私は出張でニューヨークにいました。その日は朝からずっと雨が降っており、夜の会食が終わる頃、ようやく雨があがったのを覚えています。夜9時前にホテルに戻り、スーツを脱いで、さてニュースでも見ようかと片付けをしながらTVの電源をいれました。テレビをつけたとはいえ、その日の仕事のことなど色々考え事をしながらPCにも電源を入れようとした時でした。ふと画面に目をやると、『TSUNAMI HITS』という文字が目に飛び込んできました。文字通りベッドから飛び起き、TVのボリュームを最大限まで上げて目の前で流れているニュースが一体何なのか、何が起こっているのか理解しようとしました。その時撮った写真が以下の3枚です。





 その後朝まで一睡もできずに日本本社や家族と連絡を取り続けました。なかなか電話が通じず心配ばかりが募った夜でした。幸いにも私の家族、友人、同僚には直接的な被害はありませんでした。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災が発生した当時、私は神戸で高校生をしていました。人間という小さな存在は大自然の猛威の前には為す術もない大震災という状況を自ら体験させられたこと、震災直後の街の様子やそこから復興していく神戸の様子を目の前で見てきたこともあり、今回の東日本大震災が発生してから一気に色んなことがフラッシュバックとしてよみがえってきました。その後しばらくは、夜になっても寝られない日々が続きました。日本から遠く離れたところにいるため、今、日本がどのような状況に陥っているのか自分の目で確かめることができず、混乱する状況の中、米国からネットやテレビという間接的にしか情報を得ることができなかったのが非常にもどかしかったことを今でも覚えています。その後出張でようやく日本に帰れたのは震災から1年以上経った後でした。 

Run for Japan Disaster Relief 

そんなこともあり、3月11日からわずか8日後に開催されるレースに出ていいものか悩みました。ただ走るということだけはしたくない。自分が走ることで何か復興の助けにつなげることができないか、少しでも支援できる方法はないか、と考え、震災発生から3日後の14日に、FirstGivingで「Run the HAT 50K Endurance Run for Japan Disaster Relief」というファンドレイジングのページを急ごしらえで立ち上げ、今回の50キロランを通じて、東日本大震災復興支援のための寄付金を集める活動を開始しました。結果、わずかの期間だったにも関わらず、最終的には当初の予定だった$5,000を上回る、「$6,173」もの寄付金を集めることができました。当日はこれも急ごしらえで作った「Pray for Japan. Run for Japan.」のTシャツを着て走りました。おかげで当日多くのランナーの方やボランティアの方に声をかけていただき、寄付をしたいからあなたのウェブページを教えてくれという声も多数頂き、アメリカ人ランナーコミュニティのやさしさ、思いやりを感じることができたレースとなりました。




 そのような、自分にとって初めての50キロウルトラマラソンは、人生初の50キロという、その距離だけではなく、日本から離れて直接ボランティアなどができない日本人ランナーとして、この大災害に見舞われている母国日本に何ができるか悩みながら走った、特別なレースでした。このレースは1人だけで走ったのではなく、寄付していただいた方や応援してくれた多くの人の思いを背中に感じながら走った印象深いレースでもあり、何がなんでも途中で棄権するわけにはいかなかったのです。そのような思いがあったからこそ、初めてのトレイルランニング、初めての42.195kmを超える、当時の自分の限界を大幅に超えた挑戦に打ち勝つことができたのだと思います。でなければ1週目の大ループを終わった時点で止めていた気がします(笑)。

(レーススタートの瞬間。スタートラインもなく、広場に集まって時間が来て一斉に走りだすのが何ともアットホームで良かったです。)

 『Born To Run』の著者もレースに参加!


 なお、前回も書きましたがこの年はあの『Born To Run』の著者で世界中のランナーの走り方を変えたと言われているクリストファー・マクドゥーガルさんも出場しており(もちろんワラーチで!)、当日受付で『Born To Run』も無料で配布していました。もちろんレース当日はそんなことも知らずただただ50キロという距離、そして山道を走るという自分にとって初めての挑戦にスタート直前までドキドキしており、写真もサインも何もいただかなかったのが今考えると非常にもったいなかったです(笑)。

HAT Run 50Kのコースについて

HAT Runのコースは以下の通りです。
 


HAT Runのウェブサイトより引用】

 コースは、最初に3.6マイル(約5.8キロ)の小ループを1周し、次に13.7マイル(約22キロ)の大ループを2周するというルートです。最初の小ループはいいとしても、13.7マイルのトレイルループ2周はかなりの地獄でした(当時)。今考えるとコースも急坂やガレ場などほとんどなく、コースの最大標高も最大で約110メートル(約360フィート)と、今回走るWaldo 100Kの最大約600メートル(2000フィート)と比べると可愛いものなのですが、当時はそれでも人生最大の苦行でした。

 HAT Runの標高差↓
                 【HAT Runのウェブサイトより引用】


HAT Run 50Kを走り終えて

今思い返してもトレイルをちゃんと走ったこともなく、山の走り方や超長距離におけるペース配分も何も知らない中でよく完走できたものだと思います。体重も今より10キロ重かったですし・・・。ループから帰ってくる度に、妻に「死にそう!もうやだ!」と繰り返していたようですが、私はあまり覚えていません・・・。いずれにせよ人生初の50キロトレイルランは自己PR(←当たり前)で終了しました。速いタイムではないことは何となくわかっていたのですが、ではどれくらい遅いのかどうかも比較できるレースもなかったのでさっぱりわからず、その日はとりあえず無事完走できたという達成感で幕をおろしました。

 その日は早朝というか夜中の2時か3時頃に起きて車で会場まで2時間近くかけて向かい、トレイルを50キロ走ってまたその日に車で帰宅するという強行軍だったため、帰りの高速で一度どころか何度も意識が飛びそうになり、その度にヒヤリハットしたのがこの日一番の盛り上がり?でした。
 
 HAT Run 50Kの後はさすがにきつかったこともあり、50キロを超える50マイルに挑戦するまでにはここから1年以上もかかったのでした。その人生初の50マイルレースについてはまた次回ご紹介いたします。


(ゴール1秒前。笑顔ですが実際はボロボロで死にそうでした・・・。)



【23th 50K HAT Run結果】
日時:2011年3月19日(土)
場所:Susquehanna State Park, Maryland
距離:50キロ
順位:243位(362人中)
タイム:6時間51分37秒