Thursday, July 3, 2014

【Race Report】第29回サロマ湖100kmウルトラマラソン後編

 <*前編はこちら>


 サロマのレースやコース自体の詳細については他の方もたくさん書かれているのでここであえて細かくは書きません。100キロを走りながら自分の頭の中に浮かんできた言葉や思いを今日は書いていこうと思います。   今年のサロマは例年以上の暑さ(最高気温28.9℃)、そして所々強風の向かい風が立ちはだかる厳しいレースでした。それは一般男子の完走率53.2%、一般女子の完走率56.7%、陸連登録男女を入れての完走率も56.5%という数字からもいかに厳しい戦いだったかがわかると思います。100キロというちょっとどうかと思うくらいの距離に挑戦するランナーのほとんどは何があっても前に進む意思と力を持つ変態勇者たちです。それでも約半分が脱落する。それが今年のサロマでした。


 最初に心に浮かんだ言葉は、「諦めるか諦めないかは完全に選択の世界」であるということ。今回、自分の中で2回ほどずどんと落ちるところがありました。40~50キロと、70~80キロのあたり。最初の落ち込みは完全に精神的なもので、なぜか辛い辛いという気持ちと、まだ半分以上も残っているのか・・・、というネガティブな思いがそれくらいの時にどんどん出てきました。タイムも当たり前のように遅くなっていき、足がなかなか前に進まなくなりました。足的には十分まだ残っていたので、55キロのレストステーションでシャツや靴下も変えられるし、買っておいたリポDやクリームパンも食べられる。少しくらい日蔭で休憩したっていいじゃないか、と自分をなだめすかして何とか最初の落ち込みを乗り切りました。
 レストステーションを過ぎたあたりからは徐々に背後から迫ってくる関門時間との闘いという要素も加わり、キツさは増すばかりだったのですが、その関門時間があったからこそ残り40キロか・・・ではなく、次の10キロの関門時間まで1時間40分か、とりあえずそこまで行って考えよう、というように細かく目標を区切ることができたので逆に良かったのではと思っています。




 これは個人的なコツなのですが、いつから音楽を聴くか、というのも完走のためには大きなポイントだったと思います。音楽は僕にとっては気持ちが落ちた時に使うブースターの役目となっています。レース前の計画では55キロのレストステーションから音楽を投入しようかと思っていたんですがそれ以外の作業が多すぎてすっかり忘れて出てきてしまったので。実際に音楽を聴き始めたのはその次の給水所からでした。
 ちなみにUTMFから使っているのはSONY ウォークマン NW-S785K。これ、最大で77時間連続再生ができ、軽量ですので100キロや100マイルという長丁場のレースでは重宝しています。
 閑話休題。サロマの森の音やヒグラシみたいなセミの鳴き声、波の音など自然音も好きだったのですが、疲れてくると自然音だけでは辛くなってきます。もちろん最初から最後まで精神的に落ちなければ音楽は必要ないとは思います。また最初から聞く必要は(少なくとも僕には)なく、後半もう限界まできた時にこそ効果を発揮するものだと思います。それも案外ベタなJ-Popとかのほうが耳障りがいいというのは何ででしょうか?(笑)

 サロマは確かにコースは平坦だけど初心者にとっては関門が意外に、というかかなり厳しいなというのが正直な感想。イメージしていたのんびりと風景を楽しんで走れるポイントっは前半以外ほとんどなかったと記憶しています。もちろん眼前にいきなり広がるサロマ湖の雄大な風景やワッカ原生林を目の前にした時のあの景色はこのレースでしか味わえない醍醐味ではありましたが、特に後半のワッカは風景を楽しむ余裕は正直ほとんどなかったです(笑)。

 「体の痛みを受け止めそれを認めると、向こうもそれ以上の暴挙には出ない。」

 70~80キロからワッカ原生林の前半部分は今回のレースで最も辛かった区間になります。関門時間もすぐ後ろに迫ってきていて休めないのに、足の痛みも気を抜くと耐えられなくなるほどにひどくなってきていました。その時に何度も繰り返したのが上の言葉でした。
痛いという事実を無視できないのであれば、下手に籠城して反撃のチャンスを狙うのではなく、あっさりと白旗をあげて無血開城したほうが、痛みもそれ以上に暴れることはなくなります。無理に頑張って痛みに対抗しない。これは僕が何回かの50マイル(80キロ)、100キロレースで学んだことです。これも要は痛みへの考え方を変化させたというだけのことなのですが、痛くなったことについてはもうあきらめて、逆に痛みを楽しむことが、痛みとうまく付き合う方法なんじゃないかと思います。波が満ち引きするように、間隔をあけて痛みがやって来るたびに、「この痛みを楽しみにここまで来たんだろ!」とドMなのかドSなのかよくわからない発言を頭の中でリフレインしていました。





 それと同じくらい効いたのが、「辛い時こそ笑え。」でした。気持ちが折れそうになる度に強制的に笑顔をつくりだすと、不思議とさっきまでの辛さが消えていきます。ただこれは周りから見られると相当あやしいので、私は人が見ていない時にこっそりやっていました(笑)。

 ワッカのあの延々と続く一本道はまさにドラゴンボールの蛇の道か!と思うほどに長くつらい15キロでした。その頃になると関門との闘いがむしろ走るモチベーションになっていて、関門が近づいてくればくるほど闘志を燃やして走っていました。

 ワッカに入ってからだましだまし走っていた足、特に右足の甲の痛みをかばっていた左足が完全にいかれてしまい、止まってしまうとまともに前に進めなくなってしまいました。歩くとひどいもんでしたが、走るには何とかまっすぐ走れるという状態だったので、もう残り10キロちょい全部走り切ってやろうと、ギアを入れなおしました。90キロの関門を超えてゴールの関門まで残り90分。歩き始めるとおそらく間に合わないという中、一気にアドレナリンが放出され、そこからは今までキロ7分とか8分まで落ちていたペースが最大キロ5分ちょいという、まさに爆走、無双状態な走りとなり、結果今日一番の走りができました。不思議なものでその間、痛みは一切なし。最後の10キロで多分200人くらいのランナーを抜いたと思います。

 残り3キロ、2キロとゴールが近づいてきて、残り1キロのサインを見た時にはさすがに速度も落ち込んではいたんですが、それでも全身汗だくで必死に走っている姿は、きっと誰が見てもなんでここまできてこんなに必死になってんだこいつは?と見られたのでは思います。「実は止まってしまうともう一歩も動けないんですよ(涙)!」と心の中で叫びながら走っていくと、一気に道が広がりました。フィニッシュラインが気が付けばすぐそこにありました。今でもあのゴール近くの多くの人たちの声援のすごさは耳に残っています。後半からはずっと音楽を聴いていて、ゴールまで残り500メートルのあたりでイヤホンを取った瞬間のあの大声援。一人で走っていたつもりだけど、一人じゃなかったんだと思わずにはいられなかった瞬間でした。

 私の初サロマはその大声援に包まれるうちに終わっていました。100キロの通過時間は速報で12時間38分53秒。ゴールした瞬間は自然にガッツポーズを取っていました。




 ゴールした後、夕方の北見市登呂スポーツセンターの階段で一人カレーをつつきながらビールを飲んでいた時に思い浮かんきた風景はなぜかサロマの大自然ではなく、すれ違い、抜きつ抜かれつしたランナー達1人1人の姿でした。特にゴール前最後の関門である90キロ関門の前後では速いランナーの方では決して見ることができない壮絶な物語がたくさん起こっていました。時間的にそこから折り返し地点まで行って90キロの関門に向かうのはかなり厳しいと私から見てもわかるランナーが誰ひとりとして諦めず、前だけを向いていたのが強く目に焼き付いています。諦めるというのはとても簡単なように思うけど、90キロ近くまで多くの苦労と苦痛を乗り越えてここまでたどり着いた全員にとってそれはありえない選択肢でした。時間的にどんなに関門突破が厳しくても、足がもうこれ以上前に進めないほどになっていても、目だけは誰も諦めていませんでした。自分も必死にゴールを目指していたんだけど、諦めないみんなの姿を次々目にして思わず泣きそうになりました。そして思った。人間はどうしてこんなにも強く、美しいのか、と。

 数多くのドラマをこの目で見てきたけど、特に印象に残っている方が何人かいます。一人目は女性ランナーの方で、90キロ関門制限まであと10分くらいのところでまだそのランナーは86キロ近く。そこからは恐らくどれだけ頑張っても90キロの関門には間に合わないということは誰に言われなくても本人が一番よく分かっていて、でもその事実を受け止めることは彼女にとってとても厳しいことだったのでしょう。僕が彼女に気付いたのは彼女とすれ違う50メートルくらい前から。ワッカの一本道は遠くまでよく見通せるんだけど、そこで彼女が一瞬立ち止まり、シャツで顔を覆い堰を切ったように泣き始めたのが遠くからでもわかった。僕がちょうどすれ違う時、彼女は一通りたまっていた感情を出し切ったという感じで再びまた前をしっかりと見据えて走り出した。
 彼女のそのすぐ後ろにもフラフラになって道にしゃがみこみ、地面に倒れこみながらも、すぐに立ち上がって前に向かって進んでいく若い男性ランナーがいた。最後の力を全て出し切るように信じられない速度でダッシュしている人もいた。みんなどうしてそうまでして前に進みたかったのだろう。どうして100キロを走りぬきたいんだろう。多分誰もその答えを明確に述べることはできないんじゃないかな。僕だってそう。ただ一つ。自分がどこまでやれるか見てみたい。その答えだけでも十分なのかもしれない。



 今更僕が言うことでもないけど、長距離走はつまるところ、ある程度のところからは心、精神力が全てだと思う。やめようと思えばいつでもやめられるし、絶対ゴールしてやると思えば必ず辿り着ける。もちろんそれが通用するのは筋肉痛だったり、精神力でおさえられる疲れや痛みだったらの話。骨折やら捻挫など、気合いでどうこうできるものでない時は諦めるしか無い(それでも骨折したまま、また捻挫したまま100マイルを完走したランナーがこれもまた数多くいるのがこのスポーツの不思議なところ)。

 僕にとっての2大DNFレースであるキャノンボールUTMFを比較すると、キャノンボールは完全に前者。あそこでやめなくてもよかった。でも完全に心が折れてしまっていてリカバリーがきかなかった。ようは根性がなかったってこと。UTMFの時は心と身体のダメージが半分半分。後先考えなければ腫れあがった右足首をもっていかれても、せめて関門時間まで這ってでも進めることはできたかもしれない。でもあの時はそうはできなかった。痛みにも今回のサロマのようにコントロールできる痛みとそうでない痛みがあり、UTMFの捻挫の痛みは僕のへなちょこな精神力ではカバーできるものではなかった。

 UTMFの80.5km地点にあるA7富士山こどもの国。僕のUTMFの初挑戦はそこで終わりを迎えた。今でも覚えているのは、こっちはとことんまで落ち込んでいるのに、上を見るとそこには気持ちいいくらいに晴れ上がった空があり、さっきまでの鬼気迫る状況が嘘みたいにのどかな時間が流れていた。そして関門時間ぎりぎりで駆け込んでくる多くのランナー達の姿。必死な形相で駆け抜けていく勇者たちを横目に、僕は人目を避けるように駐車場の車の陰に座り込んでいた。あの時からずっと心の中でモヤがかかっていた。レースに負けた事実よりも、自分自身の心に勝てなかった事実に対して悔しいやら、自分で自分の限界を設定してしまったことへの怒りやらが混じり合った感情に囚われていた。何をしても誰とあってもずっと気持ちが晴れない毎日。今回のサロマでもし途中でリタイアしていたら僕は本当に走るのをやめていたかもしれない。少なくとも42.195kmを超える距離を走ることは。

 今回も最高気温が30℃に迫る暑さの中、膝や右足の甲の部分の痛みが炸裂したけど、「ここでやめるためにわざわざ北海道に来た訳じゃないだろ。」と、また適当な、皆が聞いても納得できるような理由をつけてレースをやめるのかお前は、そうじゃないだろ。」と何度も頭の中で繰り返した。今回ばかりは絶対に諦めるわけにはいかなかった。


「痛みは避けられないけど、苦しみは選択できる-“Pain is inevitable, suffering is optional”」、つまりはそういうことなんだろう。


 最後に私の好きな言葉をもう一つ、ワシントンD.C.にいた時に参加していたランニングチームのチームシャツの背中面に書いてある言葉。

「Running is a spiritual sport and we are all insane!(意訳:ランニングというのは精神力のスポーツで、辛くても走り続ける私たちってきっと全員どっか頭がおかしい!)」

 来年もまた走りたいかって?それは来年の今頃、わかっていることでしょう(笑)。

 最後に、給水所やコースのいたるところでかぶり水や応援で助けてくれたボランティア、地元の中高生の皆さん、本当にありがとうございました!

 

Tuesday, July 1, 2014

【Race Report】第29回サロマ湖100kmウルトラマラソン前編


「あなたは100キロを一日のうちに走り通したことがあるだろうか?世間の圧倒的多数の人は(あるいは正気を保っている人は、というべきか)、おそらくそのような経験をお持ちにならないはずだ。普通の健常な市民はまずそんな無謀なことはやらない。僕は一度だけある。」
―「もう誰もテーブルを叩かず、誰もコップを投げなかった」『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹―

 この書き出しではじまるエッセイは村上春樹がウルトラマラソンについて語った唯一のエッセイだ。恐らくサロマ湖100kmウルトラマラソンを走る多くの人が一度は読んだことがあるのではないだろうか。僕もその一人だ。最初にこのエッセイを読んだのはジョギングをはじめたばかりの頃。自分がまさか本当に100キロ走ること(くらい変態になる)になるとはその時には想像だにしていなかった。

 村上春樹がサロマを走ったのは1996年のこと。その頃はまだ今よりももう少し牧歌的な雰囲気が残っていたようで、国道も車はほとんど走らず、牛とサロマ湖と、頭上に広がる大空、そして少しの風だけが物好きなウルトラランナーを迎えてくれていたようだ。今年もそういった牧歌的な雰囲気を夢見ていたのだけれども、当たり前のように1996年の頃より約4倍近く増えたランナー、そしてそのランナー達をサポートするクルー達によって、物理的に大会関係車以外の車が入れないワッカ以外、常に多くのサポート車に抜きつ抜かれつのレースとなった。今回1人で参加した自分としては公式エイド以外で頻繁に冷たいコーラやアイシングやマッサージや食事のサービスを受けるランナーたちが正直羨ましくてしかたなかった。また、トレイルランレースだと100キロの距離だと途中くらいからほぼ一人の世界になるんだけど、今回は最初から最後までずっと多くのランナー(人は変わっていくけど)に囲まれて走ることになってこれも新鮮だった。

 サロマは日本に帰ってきたら一度は走りたかったレースだった。帰国後、キャノンボールUTMFと日本のトレイルランニングレースにことごとく打ち負かされてきた自分にとって実は今回のレースは今後の自分を決める重要な大会でもあったわけです。もし今回またDNF(Did not finish=リタイア)してしまったら本気でしばらく走るのをやめようと思っていました。もともと子どもの頃から走るのが苦手で、走っても足が速いわけでもなく、むしろ中学校のマラソン大会では後ろから数えたほうがはやかったくらいの鈍足ランナーだったのですが、そんな自分でも大人になって走る楽しみを駐在させていただいた先の米国で覚え、それなりの経験を築いてきたと自負していました。そんな自分の僅かばかしの自負を日本のトレイルはあっさりと打ち砕いてくれました。まさに自信喪失。リタイアすることそれ自体よりも怖かったのが、「ゴールしないこと」に慣れてしまうことだった。とりあえずレースには出て、心が折れたらそこでやめればいいやということになってしまえば、ウルトラやトレイルランの大会に出ること自体、自分にとってほとんど意味をなさないことになってしまう。フルマラソンをいくつ完走しても全くその不安は払拭できなかった。これはそういう話じゃない。42.195キロを越えた世界で白黒つけないといけない話だった。僕は何とか自分が陥りかけていた負の連鎖から今回どうしても抜け出したかった。

 誰にもそんなことは言わなかったけど、そんな色んな思いと共に北海道まで100キロを走りにいったわけでした。前日夕方に現地入りする最短コースのツアーに申し込んだ僕は、土曜日の夕方に女満別空港に到着し、同じツアーに参加した他のランナーの人たちとバスに揺られ徐々に赤く夕日に染まっていく北海道の丘陵地帯を横目にホテルに向かった。便利になった時代の代償か、女満別に降り立った時もどうもまだ自分が北海道にいるという事実にピンとこない。羽田空港から2時間弱で到着してしまえるのだから無理もない話かもしれない。どうみても東京ではない北海道な風景を目の前にした現実をまだ受け止められず、バスに酔っているのか、頭が酔っているのかわからないうちにバスはホテルに到着していた。




 夜は近くのスーパーだけに行き、そこで東京から持ってくるのを忘れていたエアーサロンパス(これが後でかなり助けてくれることになる)と2日分のホテルでの食事、そしてレース中の補給物としてクリームパンやリポビタンDなどを買う。買い物袋は1枚3円だった。  部屋に戻るとカーボローディングとばかりに、カツカレーやお寿司など、普段は体重が増えるのを恐れて食べるのを控えていたものばかりをここぞとばかり食す。もしかしたらこの瞬間のために走っているのかもと思えるくらい幸せな瞬間。



 ホテルはゴール地点の北見市にあるため、出発地点に向かうバスに乗るためには1時30分には起きていないといけない。もはや早起きのレベルを超越してただの夜中である。しかし本当に寝ないでいると後で辛くなるのは眼に見えているのでできるだけの用意はしておいて起きてレースウェア着ればすぐに出れるようにして10時前にはベッドについた。



 寝たのか寝てないのか、もしくはその境目にいたのかよく分からないうちにモーニングコールがけたたましく鳴り響き、1時半がやってきた。ホテルでは1時から朝食を用意してくれていて、フロントまでおにぎり弁当を受け取りに行き、ワールドカップ決勝トーナメント、ブラジル対チリをボーッと見ながら単なる夜食といっても過言ではない時間に朝食をいただく。

 2時半の集合時間ちょっと前に行くとすでに1台目のバスは満員のため出発済み。みんなどんだけ早いんだよ・・・と思いながら同じように取り残された数名のランナーの皆さまと、こんな僕達のためにちゃんと用意されていた他のホテル経由で来る2台目のバスを待ち、スタート地点の湧別町に向かう。驚いたのが北海道の夜明けの早さ。まだ2時半過ぎなのにすでにうっすらと夜が明け始めている。緯度の関係かな?などと思っているうちにバスの中でいつの間にか寝てしまい、目が覚めると完全に朝になっていた。そこはスタート地点の湧別総合体育館。レース直前にも関わらずいまだ精神は高ぶらず。おそらくまだ自分で自分のことを疑いにかかっていて、変に調子に乗って後で痛い目を見ることが怖かったからだと思う。



 スタート地点には↑のような記念碑もあり、このレースが単なるレースではなく、町を形作るひとつの要素になっていることにあらためて気づかされた。朝4時だというのにすでに真昼間のような熱気。10回完走するともらえる青い称号、サロマンブルーのbibを付けている方々もそこかしこにおり、どことなく風格さえ感じられた。いつか自分のあの栄光の青色ゼッケンをつける日が来るのだろうか。



 サロマの面白いところは公式サイトなどには一切書かれていないんですが 30km、65km、80kmの3箇所にスペシャルドリンクが置けること。後、55kmのレストステーションにドロップバックが置けること(これは書かれてあった)。スペシャルドリンクと言っても何を置くべきかピンとこなかったのでとりあえず、経口補水液 オーエスワン(OS-1)にオレンジジュースとハチミツにレモン汁を混ぜた物にしてみた。どれもこれも多分脱水症状に近い身体にはいいだろうというものの詰合せ。これ、飲んでみると分かるのですが正直美味しいとは言い難い微妙な味です(笑)。でも自分にはそれなりに効果はあったと思います。オレンジジュースの割合を増やせばもっと口当たりがよくなったかもしれません。またせっかく置いておけるのだから、とジェルやアミノバイタル VESPA HYPER ベスパハイパーをガムテープでくくりつけることにしました。これは必要最小限で走れるのでオススメです。さらに4000本のスペシャルドリンクから選び出さないといけないということで目立つように子どもの写真などを貼りつけました(分かりやすくてこれはこれで良かったのですが反面捨てるにしのびなく、次回からは写真はやめようと思いました(笑))。



 準備が全て終わりトイレも済ませてスタートラインへ。空は雲ひとつないくらいの晴天。村上春樹のエッセイでは朝は冷えて手袋も欠かせないとあったが少なくとも今年は最初から真夏仕様のウェアリングで全く問題ないくらいの気温の高さ。つまり今日はこれから気温は上がることはあっても下がることはない真夏のレースになるということを意味していた。アナウンスでは「今日の最高気温は25℃です。」と言っていたのでまだ少し安心はしたのだけど、蓋をあけてみれば最高気温は29℃と、ここ数年のサロマでも最もコンディション的に厳しいものになったようだ。でもそれは何回も参加している人の話で、そもそも今回が初サロマの自分にとってはそういうものか、と割り切るしかできなかった。周りの喧騒、興奮をよそに、まだどうもレースに向けて盛り上がりに欠けて盛り上がれず一人スタート地点に佇んでいた。これがフルマラソなどの距離のレースなら致命的だったかもしれないけど、100キロ13時間という長丁場のレースであればそれくらいが丁度良かったのかもしれない。これも後になって分かる話だけど、最も自分の中で盛り上がったのは80キロを過ぎたあたりから。どんだけエンジンかかるの遅いんだよ、という話になりますが、今振り返って気づいたことがあります。キャノンボールやUTMFでリタイアしたのはちょうど80キロに行くかいかないかの距離。どうやら自分の中でのスイッチが入る距離は人よりも少し?遅い80キロらしい。今までのDNFはそのスイッチが入る直前に走るのを止めたことになる。辛くてもそこを超えれば何とかなる。このことに気付けただけでも遠く北海道まで来たかいがあったのではないかと思っています。実際は100キロの中では何度もアップダウンの波に襲われるのですがそれをどう自分なりに乗り越えたかは後編で書きます。って全然大したことではないですが(笑)。



そして5時ちょうどにレースが始まった。辛くて長くて暑く、そして今までとこれからの自分とじっくり向き合うことができた長い長い1日の始まり。
それがもう二度と来ることのないたった一度の2014年6月29日の始まりだった。(後編に続く)


Saturday, May 3, 2014

UTMF2014を振り返って




 Ultra-Trail Mt. Fuji、略してUTMF。今年2014年で第3回目を迎える日本随一の国際100マイルレース。ただ、今年は直前になってのコース変更もあり、100マイルではなく、105マイルに、キロにして約169キロに伸び、かつA10本栖湖からA11鳴沢に山も追加され、同じ時計回りの第1回目よりも関門時間がかなり厳しくなるという、ただでさえ難易度が高いのに今年はそれ以上に厳しくなった、そんな年でした。

 今年のレースは4月25日から27日まで行われ、すでにレースから一週間が経とうとしています。この一週間色んな事を考えました。ブログにまとめることについても自分の考えがまとまらないので書けないという状況でした。ただ、このまま行くとまた自分の中での整理をつけないままズルズルと行ってしまいそうなので、現時点で思い浮かぶことをとりあえず書きだしてみようと思います。

 UTMFの事を知ったのはまだアメリカにいた時でした。UTMFが兄として仰ぐUltra-Trail du Mont-Blanc、略してUTMBの事を知ったのはアメリカで本格的に走り始めた2011年くらい。ちょうど人生初のフルマラソンを走り終えて、次の目標としてトレイルランニングに興味を持ち始めていた時でした。50マイルすら走ったことのなかった当時、自分が100マイルレースに参加するなんて夢のまた夢でした。しかしそれから僅か3年後の2014年、UTMBの弟分であるUTMFのスタート地点に自分が立てたことは、もちろん色んな運も重なったからですが、何となく自分の人生がそういうふうになっていたのではないかと思うくらいのあっけなさで実現してしまいました。

 準備不足かといえばそういう訳でもなく、トレーニング量的に見て完走はできるだろうというくらいの自信はありました。が、結果は、DNF。一番の原因はUTMFの2週間前のハセツネ30Kで挫いてしまった右足首捻挫が完治しないまま本番当日を迎えてしまったことでした。整形外科で処方された足首のサポーターと湿布で2週間治療に専念したのですが、先生からは1ヶ月は走ってはダメだと念を押されていたにも関わらず、何とかなるだろうと楽観視していたのですが、剥離骨折手前だと診断された傷は表面的な腫れは引いていたのですが、根本的には完治しないままでした。スタートしてすぐに違和感を感じたのですが、丁寧に走れば何とかなると騙し騙し走り続けていました。ただしA3山中湖きらら〜A4すばしりの間にある連続した山越えでついにハセツネ30Kでやってしまった所と全く同じ箇所をグキっとやってしまいました。一度捻った後もバランスが崩れてしまったのか、A4すばしりからA5富士山御殿場太郎坊へと続く山登りの連続の箇所で何と4回も捻挫してしまう始末。もはやトレイルを登ることも下ることもできなくなり、平地のみ何とか走れるというトレイルランニングとしては完全に終わってしまっていました。とても天子山地をこの足で挑戦することはできず、右足を引きずりながらたどり着いたA7富士山こどもの国で1時間近く悩んだ末、リタイアすることにしました。

 怪我をしたままレースに出てしまった自分の不運を嘆くより、まだ自分のレベルでUTMFに挑戦するとはおこがましいというような、そんな富士山からの叱責を受けたという表現のほうが正しいかもしれません。

 自分が想像していたよりもあっけなく参加できてしまった今回のUTMFらしい結果と言えばそうなのかもしれません。富士山こどもの国では関門時間間際になって駆けこんでくる多くのランナー達の姿に自分もまだ行けるのではないかと最後まで悩みながら、両足の計測チップを取り外しました。

 シューズの上からもわかるくらいに腫れ上がった右足を見つめながら、サポートクルーの家族を待っていたあの1時間ばかりの間の穏やかな時間。さっきまでの戦場から一気に日常生活に連れ戻されてしまった、その空気感のギャップとこどもの国の暖かな空気や春の匂いを僕はけして忘れることはないでしょう。

 富士山を人間の足だけで一周するということはやはり生半可なことではなく、ベスパ斎藤さんがおっしゃっていたように、スタートしてからの補給云々の前に、身体のコンディションをスタート前にいかに万全にできるかのほうが重要であるという、その言葉の意味を自信の身体でもってしっかりと学んだレースでした。

 アメリカでは50マイルも100キロも200マイルリレーも一度もリタイアしたことがなかったのに、帰国後早々の六甲縦走キャノンボールラン(往復POWERの部)と今回のUTMFの2回のレースを続けざまに(ハセツネ30Kもある意味ボロボロでしたし)リタイアしてしまったという事実に対して、自らのトレイルランへの適性そのものを疑う結果となりました。別に誰かにやらされている訳ではないんだしいっそ辞めてしまおうかとも本気で考えてしまいました。ただ、同時に誰にも頼まれていないんだからこそ、自分勝手にやってもいいんじゃないかという気持ちもあり、そのあたりとの帳尻をどうつけるかについて、今はまだ悩んでいるというのが正直なところです。多分トレイルランニング自体を辞めることはないとは思いますが、今後日本の山に挑戦し続けるためには、まず自分の心技体を日本のトレイルのレベルに合わせることが必要だと思っています。米国での経験などはこの際いい機会なので一度全て忘れてしまい、再度初心者ランナーとしてゼロから出直す必要があると考えています。

 とりあえず、今後のことを考えるためにも、今一度今回のUTMFで私に何が起こったのか、何をすべきでなかったかなどをこれからのブログで折を見て振り返ってみようと思います。

 夢は夢のままで終わらせたほうがいいという人もいますが、私は例え這いつくばってボロボロになったとしても、その夢を現実にするためにすがりつくカッコ悪い人間でいたいと思っています。




Saturday, April 19, 2014

UTMF直前補給対策セミナー by 齋藤通生氏(NeoDirection代表、ペスパ アスリートサービス)

(画像はTHE NORTH FACE FLIGHT TOKYOウェブサイトより)

 この1ヶ月間はUTMFが近付いているおかげで都内各所でUTMF/STYに向けての対策講座が目白押しです。私が参加しただけでも、3月25日(火)に御徒町のアートスポーツ・OD Box本店さんで行われた鏑木毅さんによる対策トークイベント(前編後編)、4月4日(金)に原宿の THE NORTH FACE PRESS ROOMにて行われたゴールドウイン三浦務さんによる対策ワークショップ(前編後編)、対策イベントではないですが、4月16日(水)に神保町のさかいやさんで行われた鏑木毅さんとiRunFar.comでお馴染みのBryon Powel、Meghan M. Hicksさん、そしてDogsorcaravan.comこと岩佐幸一さんで行われたトークイベントと、練習する暇もないくらい?イベントが続いていました。もちろんこれは一部で私が行けなかったイベントも多数あります・・・(トニー・クルピチカのイベントとかイベントとか・・・(涙))

 その中で鏑木さんの対策トークイベントと同じくらいためになった講座が、オシャレな丸の内にあるオシャレな店舗のTHE NORTH FACE FLIGHT TOKYOで4月11日(金)に行われた『UTMF直前補給対策セミナー』でした。ちなみにこのお店のスタッフさんは全員トレイルランナーで、去年のUTMF100位以内に入った凄腕ランナーの方もいらっしゃいます。是非丸の内に行った際にはお立ち寄りください。閑話休題。




 このセミナーではNeoDirection代表でペスパ アスリートサービスのベスパ斎藤こと齋藤 通生さんがUTMF/STYの補給対策に絞って話してくれました。単なるレースのためではなく、今後のラン人生にとって示唆に富んだセミナーでした。

 配られたレジュメのタイトルは『UTMF、STYの準備と補給』



 完走を目指す場合、コースを平均時速4km+のスピードで46時間(あるいは24時間)移動し続けることになります。レース中に必要な熱量を補給しながらのレース運びが大切なことであり。確実な補給無しにパフォーマンスを保つことは絶対にありえません。
 レースを想定した事前のカーボローディング、直前の食事、スタートからフィニッシュまでの補給、フィニッシュ後のリカバリーと順を追ってお話致します。                                 
                                                    -配布レジュメより引用-

 内容に入る前に、斎藤さんから完走に向けて大切なものとして次の3点があげられました。

  1. フィジカル:46時間耐えうる身体
  2. メンタル:絶対完走するぞという気持ち
  3. 健康状態と補給:レース時の補給だけではダメで、スタートする時の身体の状態が重要。50キロ以上のレースの場合はスタートの時点で疲弊しているとダメ。

 今回は補給についての説明でしたが、補給よりも身体をいかに健康な状態でレース当日にもっていけるかのほうが大切だと言う言葉が印象的でした。自社製品の宣伝もあるかと思ったのですがそんなことはなく、それよりももっと根本的な、山を走る、長距離を走るための心構えを教えられたように思います。
 以下、配布されたレジュメに当日取ったメモを織りまぜてまとめました。例によって録音していたわけではありませんので間違いや、聞き逃しているところもあるかと思いますがご容赦ください。少しでもUTMFやSTYに出られる方の参考になれば幸いです。




1)リハビリテーションと装備のチェック


 個体差はありますが、ハードトレーニングを課した身体は満身創痍になっていると考えられます。筋肉痛の痛みが去っていくと、ほとんどのアスリートは回復したと思いがちです。しかし、酷使した内臓疲労は筋肉が回復する時間の2倍かかるとされています。
 もう一つ重要なのは装備の準備です。必要頻度に応じた的確なパッキング、各レッグに必要な補給物の整理など、事前の準備はかなり煩雑です。

 アイアンマンレースを終えた人の80%近くが肝硬変に近いくらいの状態になっています。それくらい長距離レースは内蔵に負荷がたまります。重要なのはレース開始前に筋肉と内臓を元の状態に戻し、できるだけ健康な状態でレースにのぞむことです。
 これからの2週間で内臓疲労を取るには、①睡眠をしっかり取る(8時間以上)、②22時〜24時にできるだけゆっくりする。③血流を良くする(暇があったら横になり、なるべく身体を水平に保つ)。レース前の食事も、炭水化物:蛋白質:脂肪を40:30:30というマフェトン理論の比率で。よく噛むことも重要。 また植物油などの不飽和脂肪を積極的にとり、加熱した油やマーガリンなどの摂取は極力避けてください。また、10日間の完全休養を取りましょう。10日間が長すぎると思う人であっても最低7日間はレストしてください。

 装備の準備についても、レースの1週間前には準備OKとなるようにしましょう。レース会場のエキスポでは忘れ物だけを買い足すつもりでいてください。レースの2〜3日前にはパッキングを終えていることが理想です。つまり装備の心配はレース前になるべく頭から除くことが重要です。

2)カーボローディング


 カーボローディングとは炭水化物を中心に摂取し(タンパク質を控え、いつもより20%〜50%炭水化物を多くする)、運動に必要な約2000kcalのグリコーゲンを体内蓄積するために行う行為で、レース前最低24時間(UTMFの場合は48時間)行うことが基本となります。スタート時の蓄積エネルギーの量が、レース距離が長くなるほどパフォーマンスの差として出てしまいます
 そしてカーボローディング時にもうひとつ重要なことは、繊維質(動物性、植物性)と、動物性脂肪の摂取を控える事です(動物性脂肪とは冷やすと固まる油のこと。オリーブオイルやココナッツオイルなどのオメガ3脂肪酸を代わりに摂取しましょう)。

 以前はカーボローディングと言えば72時間と言われていましたが、東洋人は西洋人と比べるとグリコーゲンを体内に蓄積しやすい体質のため、24〜48時間でOKです。UTMF/STYレベルの長距離レースだと、カーボローディングをやる、やらないでかなり差が出ます。

 控えるべき繊維質には野菜や肉が含まれています。体内に繊維があるとやがてガスが出て嘔吐したりジェルが食べられない原因にもなります。そうならないためにもレース前には繊維質をなるべく身体から出しておくことが重要です。
 

3)レース前の水分量チェック


 エネルギー以外にの補給も大変重要です。レースの話ではないですが、人間は食べ物は無くても最悪1ヶ月間生き残ることができますが、水は3日飲まないと死んでしまいます。レースでも脱水症状に陥らないように給水を計画的に行うことが大変重要です。脱水になると内臓の活動が弱くなりエネルギーの吸収ができなくなり、汗も止まり、結果熱中症となり、最終的には昏倒してしまいます。一度熱中症になるとレース中の回復は見込めず、そこでレースは終了です。

 自分自身の給水量をチェックすることは、レースに対してのリスクを減らす重要な準備です。身長、体重などの身体のボリュームにより給水量の差があります。これは練習時に自らの給水量を見出すことで解決するしか方法はありません。自分がどれくらい給水が必要かは、練習で走る前と後で体重を測り、体重の落差が3%を超えていたら給水量は足りません。体重の減少が1〜2%以内であればOKです。

4)スタートまでの補給


 カーボローディングにより体内に蓄積されたエネルギーを保持できるよう、スタート1時間前までエネルギーフードを少量摂取し続け体内のグリコーゲンが減り続けることがないように意識します。またスタート30分位前にジェルを1〜2本取り、少しでも多くのエネルギーを持ってスタートするという意識も大切です。

 具体的には、直前までのカーボローディングで2000kcalを貯めたとして、スタートまで+αのエネルギーを身体に入れ続け、タンクを満タンにして出発するようにしてください。人間は何もしなくても基礎代謝などで1時間につき、体重×4のカロリーを消費します。例えば体重が60kgの方の場合は1時間で240kcalが失われます。通常レースの3時間前に最後の食事を取ると思います。この食事の内容はカーボローディングと同じ内容のものが良いでしょう。これがレース終了までの最後のまともな食事となると思います。ただそこでしっかりグリコーゲンを貯めても、会場について3時間何も食べないとそれだけで720kcalが失われてしまいます。
 会場で動いて失うカロリーを補給するために、スタートまで少しずつ食べ続けてください。少量でいいので咀嚼し続けます。おにぎり、パワーバーなどでいいです。

 補給食についてですが、ジェル、グミ、バーで身体に吸収される時間が異なります。ジェルは15分、グミは1時間、パワーバーで1時間半〜2時間くらいかかります。おにぎりやバナナもパワーバーと同じくらいの時間で吸収されます。スタートの1時間〜30分前からは吸収効率を考慮するとジェルに変えたほうがいいでしょう。


5)ベスパの摂取タイミング


 まず、最初によくある誤解ですが、ベスパだけ摂取してもエネルギーにはなりません。ベスパは「ブースター」の役割を果たします。つまり身体の中にあるグリコーゲンの燃焼効率を良くするのです。

 スタート30分前にベスパ・プロ1パックを糖質と共に摂取することでグリコーゲンの燃焼効率を向上され、体脂肪の代謝を促進します。そして運動中の血糖値を安定した状態に維持することができます。ベスパの持続時間は約2〜3時間です。その時間を超えるような場合は、2〜3時間経過毎に軽量のハイパーを水とともに摂取することがベストです。
 また、激しい登りが始まる30分前に飲むのもかなり有効です。

6)レース中のカロリー補給


 自分がスタートしてからフィニッシュまでかかる時間を設定し消費カロリーを計算します。算出したカロリー数から1500kcalを引き、足りないカロリーをレース中に摂取することが補給という行為です。
 レースという特殊な環境においては、内臓のトラブルなどを最小限に抑えることがパフォーマンスアップに繋がります。行動中はジェルによるエネルギー補給になれることが基本です。
 ジェル(水分)だけでは腹がへるという話もよく聞きます。胃は食べ物が入らず水だけだとパイプみたいに縮まり、飢餓感のサインが出ます。その結果お腹が空く、ということになります。これを防ぐには胃を収縮させないように、少量の固形未消化物(グミや小さく切ったカロリーバーなど)を胃の中に残し続けることです。

 カロリー摂取のタイミングは、スピードではなく時間で計算してください。自分が何時間でゴールする予定なのかをまず予測します。運動中の消費カロリーは「体重の8倍〜10倍」程度です。例えば体重70kgの人がまあまあのペースで走る場合、1時間で消費するカロリーは最大で700kcalとなります。STYを10時間でゴールする予定だと、10時間で7000kcal消費することになります。カーボローディングで2000kcalが体内にあるとして、そこから1500kcalを引くと、5500kcalとなり、この5500kcalをレース中に摂取する必要があります。1時間では550kcal摂取となります。ジェルでカロリーを取る場合、約4本で450kcalになるので、15分に1本の割合で摂取する計算になります。


7)レース中のミネラル補給


 エネルギー摂取と同様に大切なのが、ナトリウム(塩分)のこまめな補給です。しかし給水には脱水ともう一つの落とし穴があり、それは「低ナトリウム血症」と呼ばれているものです。簡単に言うと水の摂り過ぎです。その結果、めまい、痙攣、頭痛、方向感の喪失などの症状が出ます。残念ながら現在低ナトリウム血症を防ぐ方法は見つかっていません。
 レース中にナトリウムが足りていないという判断は、指が曲がらなくなるなった時などで、その時はナトリウム(電解質サプリ、塩熱サプリ)を4錠摂取すると15分で症状は収まります。また、ナトリウムが不足すると汗が吹き出てきます。いわゆる滝汗です。軽度の脱水症状です。このように汗がよく出るのであればナトリウム不足だと思ってください。
 摂取量の目安として、夏のトライアスロンレースでは20分〜30分に1回が最大量。ただこれも当たり前ですが個人差がありますので事前に自分で適量を確認してください。
 山本健一選手の場合は30分に1錠。日中では20分に1錠摂らせているがこれでもむくんでエイドに戻ってくることもあるので計算は難しいです。
 塩熱サプリはそのまま水で流しこむのではなく、噛み砕いて水で飲み込むのが一番吸収されます。
 水かスポーツドリンクかということではどちらでも水分補給としてはOK。ただしスポーツドリンクの場合は薄めて飲んでください。ナトリウムの摂取もスポーツドリンクと飲む問は少し減らしてください。

8)リカバリー


 まずはフィニッシュ後30分以内に出来るだけ吸収の良いプロテインなどを摂取すること、同時に糖質(炭水化物(おにぎり、バナナ)+アミノ酸)をとっておくと筋肉の蘇生を促進します。レース終了日の就寝1時間前にも同じ摂取をするのが最良です。
 レース後は約6時間くらい筋肉は燃焼し続けます。翌日の朝までエネルギーを摂り続けないとレース後にハンガーノックになることもあります。

質疑応答


Q. カーボローディング時には繊維質の摂取を抑えるということですが、レース中の摂取はどうでしょうか?
A. エイドステーションで繊維質のものがあったら軽く食べる程度であればOKです。

Q. レース中の補給のタイミングについてもう少し教えてください。
A. 補給のタイミングはお腹が空いてからでは遅すぎます。上記の例で450kcalを毎時間摂る(15分に1本)のですが、スタートからずっと同じピッチで補給を続けます。貯金し続けることが重要です。

Q. レース中に膝などが痛くなった場合、痛み止め薬を使用することは大丈夫ですか?
A. 痛み止めを使う前に、補給が足りているかをまずチェックしてください。ハンガーノックになりかけの時、身体は筋肉を破壊してアミノ化してエネルギーに変えます。いわゆる筋破壊ですが、これが痛みの原因ということも多いです。痛くなった時には本当に関節などの痛みなのか、ハンガーノックから来る痛みなのかを確認するようにしましょう。
 ロキソニンやバファリンなどの薬は胃腸にダメージを与えますし、後から致命傷になる可能もありますので薬を飲む前に補給することが先です。
 エネルギーが十分にあれば筋破壊も起きず、そのため筋肉痛はほとんど起きません。エネルギーがない状態でベスパなどを飲んでも意味はありません。一番有効なのは「米+水」です。

Q. レース中に補給の計算をするのは特に後半厳しいのですが・・・。
A. エイドからエイド間の補給計画を事前にしてください。エイド間毎に必要な補給物(時にはライトなども含め)をあらかじめジップロック に入れてザックに入れておきましょう。そうすると次のエイドまでに必要な補給物を考える必要もないので、ジップロックに入っているものを全部次のエイドに着く前に摂ることだけすればよくなります。途中のドロップバッグ(UTMFのみ)で全部入れ替えましょう。

Q. 胃の調子が悪くなった場合は?
A. ガスター20や30(強力な胃腸薬)を事前に病院で処方してもらって、気持ち悪くなる前に飲むのがいいでしょう。

Q. レース中の給水についてもう少し詳しく教えてください。
A. 水、スポーツドリンクはいいですが、お茶、コーヒーはハイドレーションパックに入れるのはやめましょう。水の飲み過ぎも注意です。頭痛、視野の交錯が起こり、最後に昏倒する事態になることもありますので自分の水量をしっかりチェックしてください。

Q. 脱水になってしまった時の対処方法は?
A. 経口補水液OS-1(オーエスワン)のドリンクを飲みましょう。脱水の時のサルベージではOS-1が最も効果があります。ただし、レース中、走っている時は吸収できないので良くないので注意してください。

Q.  ハンガーノックになった時の対処方法は?
A. まず、立てるまでは横になって休みましょう。その時ジェル一本をまるごと水で飲んでください。その後ジェルもう1本の半分を飲んで、残り半分を口の中に入れてゆっくり摂取してください。約30分で動けるようになると思いますので、その後はしっかりと定期的にエネルギー補給をしてください。

Q. ジェルや水は色々ありますがどれが良いとかはありますか?
A. ジェルやパワーバー、水など、どれも効果は同じです。セブンイレブンとファミリーマートのおにぎりの違い程度しかありません。自分の好きな味であることのほうが重要ですので当日は新しいものは他人の評価で選ぶのではなく、今まで摂取した中で好みの味のものを持っていくようにしてください。

Q. カフェインの使用のタイミングについて教えてください。
A. カフェインはナイトパート、精神的にダウンした時に使用するとキックされます。常効果を最大限引き出すためには、レースの24時間〜48時間でカフェイン抜きをしましょう。カフェインはコーヒー、コーラ、紅茶やガラナなどに入っています。に摂るのではなく、眠気を取る時などここぞという時に使いましょう。一番いいのは、ここで使う、という所をあらかじめ決めておくことです。
 ジェルにカフェインが入っているもの(ハニースティンガーショッツ )がありますが、1回につき2本摂るくらいがいいでしょう。カフェイン入りのクリフバー であれば1つでOKです。摂取後45分〜1時間後に効いてきます。その後4時間は効果が続くので夜中の2時に摂った場合、朝の6時まで効くことになります。
 コーラもよく使われますが、当たり前ですがダイエットコーラなどでは意味がなく、普通のコーラを飲んでください。その場合も1口含む程度で十分です。その後キック効果がありますが反面後でガクっと落ちますので注意が必要です。
 カフェインを摂っても眠たくなった場合は、グミなどを奥歯で噛みしめてください。
 カフェインはこのように使いどころを決めて使うと効果が高いですが、脱水効果や胃腸がダメージを受ける場合がありますので使う所をしっかり考えておいてください。

Q. 山で低体温症になった場合の対処方法は?
A. 腹巻きやインナーを一枚プラスするなどしかない。これを食べたらいいとかは残念ながらないので、とにかく暖かいウェアリングをすることが重要です。

Q. 心拍数と補給の関係は?
A. 最大心拍数の7割で走れると補給効率はよくなります。その心拍だと身体がエンデュランスモードになります。ちなみにUTMF/STYのようなエンデュランススポーツにおいて、一度落ちた体力が戻ることは一切ありません。消耗戦なので、最初にどれだけしっかり健康な身体でスタートできるかが全てです。


 セミナーの最後に、「UTMFやSTYはゴールしないと辛いだけでな~んにも楽しくないですよ!だからコンディションを整えて万全の状態でレースをスタートできるようにしてくださいね。」と齋藤さん。私の場合はまず先日のハセツネ30Kでやってしまった右足首の捻挫を治して万全になるべく近づけてスタートしたいと思います!

Thursday, April 17, 2014

『鏑木毅 × iRunFar 世界のトレイルランニングの最先端を語る!』に参加してきました。



 本日、さかいやスポーツシューズ館で20時半から22時すぎまで行われた鏑木毅さん×Bryon Powellさん(iRunFar.com)、 Meghan M. Hicksさん(iRunFar.com)の対談、『世界のトレイルランニングの最先端を語る』に参加してきました。MCはDogsorcaravan.comでお馴染みの岩佐幸一さん。

 BryonさんはiRunFar.comを始める前はワシントンD.C.で弁護士をしていました。私がワシントンD.C.で働いていた時に住んでいたヴァージニア州アーリントンにも住んでいて講演後、ワシントンローカル話で少し盛り上がることができました(笑)。また、ヴァージニア州が誇るウルトラランナー、Michael Wardianさんとも友人でちょくちょく彼の話や写真が出たのも何だか懐かしくて嬉しかったです。

 さて、内容ですが以下の5つのパートに分かれていました。
  1. 鏑木毅、私を変えた海外レースの経験
  2. 世界で広がるトレイルランニングの最新事情
  3. 女子優勝、メーガンが語るサハラ砂漠マラソン
  4. 鏑木毅のGONTEXを使ったテーピング・テクニック
  5. UTMFはどんな展開に?
 パート1では鏑木さんが走ってきた海外レース、UTMBWestern States 100Bighorn 100での経験を写真や映像を交えつつ解説。私としては鏑木さんがアメリカのレースの雰囲気がすごく好きだというコメントが嬉しかったのと同時に共感しました。鏑木さん同様、アメリカのローカルレースのあのアットホームで参加者のみならずボランティアもトレイルランニングが大好きでホスピタリティに溢れている雰囲気は私も大好きでした。今考えればすごく甘やかされていたなとも思うのですが、だからこそあれだけ多くのレースが行われ、参加するランナーも多いのかなと思います。


 Meghanさんは鏑木さんがBighornのことを好きになってくれたのなら(Bighorn 100の正式名称は、Bighorn Mountain Wild and Scenic Trail Run)、今年鏑木さんが出場予定のHardrock 100はかなりワイルドだからもっと気に入るはず!とコメント。

 パート2ではBryonさんが今世界中でトレイルランニングが盛り上がっていることを肌で感じているというコメントから始まりました。色々な組織、大会が出てきて、North Faceやサロモンなどのメーカーも後押ししている状況ですが、それらがトレイルランニングの人気の原因ではなく、一番は参加するランナーや、国を越えた人のつながり、友情がこのトレイルランニングにはあることが、このスポーツが世界で成長している要因だと説明。また、インターネットの存在のおかげで世界中のレース結果を即日、もしくはリアルタイムで見ることができるようになったのも人気に火をつけた大きな原因だということです。
 Meghanさんは女性の参加者が増えていることを指摘。アメリカでは50Kや50マイルくらいの距離のレースでは今や男女比は50:50。さすがに100マイルレースではまだ10〜15%くらいだがどんどんいい選手が参加するようになってきている。

 パート3ではMeghanさんがここ何年も参加しているサハラ砂漠でのウルトラマラソンレース(250キロを7日間で走破するレース)、The Marathon des Sables について詳しく解説。2013年のレースではMeghanさんは優勝しています。鏑木さんも、トレランとは違うタイプのレースではあるけど、一度は出てみたい、心がくすぐられるレースだと言っていました。


 (Meghanさんのギア説明)

 (この足は2009年のレースの時のMichael Wardianさんの足!過酷!)

 パート4ではGONTEXの方によるテーピングの実演説明。参考になりました。ちなみに本日の参加者には全員貼足(ハッタリ)のサンプルをもらえました。UTMFで私も使おうと思います。

 そして最後のパート5ではMeghanさん、Bryonさん、鏑木さんそれぞれによる今年のUTMFの注目選手の紹介でした。

 Meghanさんは、女性選手ではヌリア・ピカス/Nuria Picas (スペイン・Buff)、男性選手ではフランソワ・デンヌ/François D’Haene (フランス・Salomon)が優勝候補だとコメント。

 Bryonさんは、女性選手ではやはりヌリア・ピカス、男性選手ではコンディションが良ければ原良和(日本・HOKA One One)フランソワ・デンヌ、そしてアメリカからはマイク・フート/Mike Foote (アメリカ・The North Face)が優勝候補だということでした。

 鏑木さんは今年のUTMFは強すぎる選手が多いので選ぶのが難しいとしながらも、フランソワ・デンヌイケル・カレラ/Iker Karrera (スペイン・Salomon)ライアン・サンデス/Ryan Sandes (南アフリカ・Salomon)あたりが有力だろうということでした。原さんにも是非2連覇を期待しているが、レースが始まってみないとどうなるか分からないのが100マイルレース。原さんが勝つためには天子山地までの前半でどれだけ逃げられるかにかかっているだろうとのこと。また、昨日一緒に走ったセバスチャン・シニョー/Sebastien Chaigneau (フランス・The North Face)もかなり調子が良さそうなので後半どうあげてくるかにもよるが優勝に絡む可能性は十分にあるということです。
 鏑木さんはUTMFはシーズンでいうと初めなので、実力よりも、コンディションが一番左右する要因になるだろうと指摘。スタート地点に最も良いコンディションで来れるかが優勝の鍵だということでした。

 今年出場する有力選手の情報についてはDogsorcaravan.comさんのこちらの記事をお読みください。

 最後には岩佐さんによるじゃんけん大会で勝者にはBryonさんの書いたトレイルランニングのバイブル、Relentless Forward Progress: A Guide to Running UltramarathonsやiRunFar.com特製バイザー、キャップなどがもらえるおまけ付き。私はもちろん開始早々に敗退しました・・・。ただし、参加者全員ステッカーもらえました!ありがとうございました。


 最後にはちゃっかり記念撮影。UTMFまであと少し。いい刺激になった夜でした。




Monday, April 14, 2014

【Race Report】第6回ハセツネ30K 完走はしたけれども・・・


はじめに

第6回ハセツネ30Kに昨日(4月13日(日))初参戦してきました。米国にいた時から名前だけは知っていていつか出たいと思っていた「日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)」の出場権が今回のレースで1000位以内に入れれば優先的に得られるということもあり、いつものように事前にほとんど情報をチェックせず出場することにしました。

レース前



 自宅から一番安く会場最寄り駅に行くために朝5時に起きて西武新宿線→西武拝島線→JR五日市線と乗り継いで武蔵五日市駅に7時30分過ぎに到着。西武拝島線あたりからトレイルランナー比率が高まり、JR五日市線ではほぼ全車トレラン専用車の様相を呈していました。相変わらず皆さん速そうで、いつものようにビビッてしまっていました(笑)。

ハセツネ30Kとは

ハセツネ30KはハセツネCUPの入門用のファンレースと位置づけられています。何だかサンドイッチと紅茶でも仕込んでピクニックついでに走るようなそんな和気あいあいとしたレースなのだろうと想像していたのですが、実際走ってみると、どこがファンレースじゃ!と怒鳴り込みたくなるくらいにガチムチハードレースでした(個人の感想ですので楽々走れた猛者もたくさんいたとは思います。)。またトレイルはほぼシングルトラックのコースだったのですが、ランナーの数がコースのキャパシティを超えるほど多く、レベルも高いため最初から最後まで列がほぼ途絶えず、常に後ろから誰かに追い続けられる展開でした。自分のペースで走ることが好きな私にとってこれが精神的に辛く、ペース配分が大きく乱れた原因でもあります。

 さて、ここでハセツネ30Kについて知らない方用に公式ウェブサイトから大会趣旨を引用しましたのでご覧ください。

大会趣旨
ハセツネ30Kは、自己の限界を追求するトレイルランニングの最高峰「日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)の入門大会として位置づけ、誰にでも楽しみながら大会に参加してもらえる日帰りのファンレースとして早春の奥多摩を走り抜けてもらいたいと企画しました。また、トレイルランニングの普及と、安全走行の啓発、自然保護の精神の高揚にも寄与したいと考えています。 また、地元あきる野市と提携しながら早春の奥多摩の美しさを感じていただき、五日市町の春の名物「野良坊」なども楽しんでいただけたらと思います。ふるってご参会いただければ幸いです。
  
※ハセツネ30Kも、奥多摩の自然の中を走るハードなスポーツです。途中にエイドもありませんし、すぐ救急車も来ません。ハセツネの原点は、「自己への限りない挑戦、そして、無事帰還するのが原則」は変わりません。当然、ルールもありますし、山岳保険の加入は参加条件です。また、大会運営上制限時間もあります。大会の趣旨をご理解の上、ご参加ください。

 重要なのは後半の「※」以下ですね。完全に見落としていました。すいません。まさに、日本山岳耐久レースの名に恥じない、ド・ハードでドMなレースでした。

 コースとしては以下のコースマップの通り、秋川リバーシオ(旧五日市青少年旅行村)をスタートして同じ場所に戻ってくるというループコース。走ってみてわかったのですがロード部分が結構あり、そこでどれだけ速く走れるかがキーとなっていた気がします。ただし、私の場合は、ロードのほうがトレイルよりは得意なのでそこで頑張りすぎて特に後半のこれでもかと続く登り下りに足が残らなかったということもありますので、ロードで飛ばし過ぎも気を付けたほうがいいです。



 累積標高差は以下の通りです。前半の第1チェックポイントの入山峠の登りと、15Kポストの登りが目立ちまずが、本当の勝負は20キロを超えた市原分岐からだと思いました。

               (公式ウェブサイトより)

レース展開

32キロのレースとはいえそこはトレイル。しかも急峻な日本の山が舞台。それはこの前の六甲縦走キャノンボールランで痛いほどわかっていたにも関わらず、ファンレースだという言葉を額面通り受け取ってしまった自分にはあんだけ辛かった過去の教訓を今回役立てることはできませんでした・・・。
 
 とはいえさすがにレース直前になると色々情報収集して、刈寄山登山口では渋滞するのでそこにどれだけ速く到達できるかが勝負だ、とか、水は途中13キロ地点で水場があるのでそこで水を補給すれば1Lくらいでも間に合う、とか勉強してレースに臨むことに。もちろんギアチェックの時には規定の1.5Lを500mlのボトル2本+500mlのサロモンソフトフラスク1本でクリアしたのですが、その後ソフトフラスクのみスタート前に飲み干してザックにしまうという暴挙に。これが本当に後々自分を苦しめる大きな原因となるとはスタート前の自分は知る由もなく・・・。

関門時間との勝負



事前の情報収集で3つあるチェックポイントの関門時間がのんきに走っているとクリアできない可能性があるということもあり、全ての関門時間に引っかからないようにすることをまずは目標としました。そしてもちろん、1000位以内に入って本選への挑戦権を得ること。スタートから入山峠までですが、刈寄山の渋滞を避けるためにはスタートダッシュが命!ということでしたが、刈寄山の渋滞の前にトイレの渋滞に引っかかるという大失態。一時はスタートも危ぶまれましたが何とか開始数分前にスタートラインに立てました・・・。そこから周りの皆さんと共にスタートダッシュ。ただここで全力を使っては意味ないのでできるだけ無理せずに、でもなるべくいい位置で採石場まで行こうと調整しつつ走りました。そうこうする内に砂利道の坂を越え、目の前に噂の刈寄山が!さあ登るぞ!と前を向いたところ、



 すでにこの渋滞・・・。でもここまで飛ばしてきて実は既に息が切れていた私の本音は堂々と休めてラッキー!でした。少し落ち着いてから後ろを振り返ると後ろも大変な状況に。↓


 ここはディズニーランドか!と思わず叫んでしまうほどでした(もちろん叫びませんでしたが)。結局ここでは20分ほど休憩させていただいたのはいいのですが、その間すっかり足の筋肉も冷えて、肝心のトレイルでエンジンがかかるのに時間がかかってしまいました。

 軽い山登りの後は長い下りのロード区間。ここは走りやすそうに見えるけどそれは罠だ!と何人かの方から聞かされていたのですが、もともとロードの下りが大好物だった私にとってそれは難しい注文だったようで、無茶走りはしなかったものの、それなりにいいスピードで走ってしまい、結果10人以上を抜くことができました。ただ、最終的にはその20倍近い人に抜かされることになるのですがそれは後の話・・・。 ちなみに第一関門は過ぎたことも気づかず関門時間だけ迫ってきてて焦っていたのですがどうやら無事通過できていたようでした。

 ロードが登りに変わってからは少し落ち着きを取り戻し、ペースを落として走るのですが登っても登っても全然登りが終わらない。緩やかな登りではあるのですが、延々と登り続けたこの区間、結構足にきてしまいました。


 第二関門近くの12キロ地点あたりにいた「カウントお兄さん」によるとその時の私の順位は「598位」。予定していた順位よりは結構上で驚きました。

 第二関門の篠窪峠仮設登山口に到着してからはトレイルに。正直ロードで結構無理したツケがここから出始めます。登ってもすぐ下りとなり、ちょっとだけフラットな所があったかと思うとすぐにまた登り、そして下りというアップダウンの繰り返しで徐々に残っていた足も、精神力もガシガシ削られることに。20キロの市道分岐過ぎてからトッキリ場→入山峠→今熊山頂上→金剛の滝上へと続く繰り返しのアップダウンでボロボロに。今熊山なんて永遠に到着しないかと思われるくらい果てしないネバーエンディングストーリーロードでした。


水、水、水・・・

後半、状況はさらにヤバい状況に、500ml x 2、計1L持ってきていた水が20キロを過ぎたあたりで完全に消失。これはやばかった。何が問題かというと、水がないとジェルも飲み込めないし、電解質タブレットも飲めない。そもそも事前調査で書いてあった「13キロ地点での水場」がどこのことなのか全く分からず補給できなかったのも計算違いの原因でした・・・。気温は午後あたりになってどんどんあがってきて、かつアップダウンの繰り返しで、喉は乾ききり、力も出なくなり、足も止まりがちに。ジェルだけはまだ3つ残っていたのに・・・。ジェルの持ち腐れとはまさにこのことか、と飲めないジェルを見つめつつ、でもあと10キロ切ってるんだから頑張ろう!と自分を励まし進むことに。

 こう頑張れた理由はいくつかあります。水が無いとは言えここは文明社会日本、しかもその首都東京。いくら山間部とは言え、自販機かトイレくらいあるだろう、と。その全てが甘かった。今回初めて、脱水症状でDNFという危機に本当に陥る一歩手前まで行ってしまいました。

 水補給に関しての私の甘い推測と現実↓

  • 13キロ地点での水場で給水だ!発見できず。
  • 今熊神社(残り約5キロ地点)には神社というだけあって、トイレは無くともせめて掃除用の水道水くらいはあるだろう。→無し。
  • 今熊神社がダメでもその後に「バス停」という標識があったし、バスが通るくらいだから自販機1つくらいあるだろう無し。

 全ての希望が打ち砕かれた後、遠くに見える文明社会=街がどれだけ眩しく見えたことか。後ろからスーパーランナーたちがワンサカ元気よく走ってきては「横通りますよ〜!」、「すいませんね〜」と気持よく通り過ぎていくのを、ネジが緩みきる直前のブリキ人形のごとく、フラフラと歩いていた私は声をかけることすらできずただただ後ろ姿を仰ぐしかできなかった。

 さらに追い打ちをかける災厄がその後私に降りかかってきました。後半2キロ手前くらいの急な下りでカメラマンさんがスタンバイしていたのでここはちょっとカッコつけよう、といっぱしのトレイルランナー気取りで駆け下りたところ、自分の頭の中ではさもキリアンのごとく軽やかにシャモニーの山を駆け下りているつもりが、体のほうが全然ついてきていなかったようで、着地に失敗してカメラマンさんの目の前で思いっきり右足首を捻って転倒・・・。しかも自分でもしっかりと「ゴキッ」というあまり聞こえたくない音が聞こえてしまったほど。カメラマンさんに「大丈夫ですか?」と心配されるというカッコ悪さ・・・。30秒ほど悶絶した後、落ち着いて骨に異常がないか確認したところ、骨は折れてなく、歩くことはできたのでとにかく歩いていけるところまでいこう、と何とか歩いてゴールを目指すことに。

 苦難の山道が終わり、五日市に戻ってきて、ゴールまで後1キロもないあたりで、ようやく公衆トイレを発見。もう1キロ切ってるから普通に考えればそのままゴールまで行ってしまうべきだとは分かっていたのですが、喉の渇きが限界を超えていたこともあり、数十メートル過ぎていたのをわざわざ戻り、蛇口を捻って水道水一気飲み!「水道水やべえ!美味しすぎる!」と声はさすがに出さなかったのですが心の奥から感動した瞬間でした。もしその時目の前に1杯1万円の赤ワインのグラスと0円の公衆トイレの水道水を並べられたとしても、何の躊躇もなく水道水を選んだことでしょう。とにかく人生史上ベスト5に入るくらい美味しい水を心ゆくまで味わい、かなり元気を取り戻すことができました。ほんと、水って大切。あと、1.5L以上持って山に入るという注意事項はしっかり守りましょう。

 スタート前にもエイドないレースは厳しいですよ、というお話は聞いていたものの、こんなに辛い結果になるとは。もし来年再度参加する際には3リットルは持っていこうと思いました。


ゴール、そして・・・



結局、「カウントお兄さん」の時には「598位」でしたがゴールした速報値では「727位」と、後半10キロの大失速の間に129人に抜かれたことに。それでも最初の目標だった、「1. 関門に引っかかない」、「2. 1000位以内に入ってハセツネCUPの挑戦権をゲットする」という目標は果たすことができました。タイムとしては4時間48分36秒と、自分的には遅いんだか速いんだか初めての参加なのでよく分かりませんでしたが、とにかくDNFせずボロボロではあったにせよ完走できたことで今回はよしとしたいと思います。

 ハセツネCUPに出るかどうか・・・それはこの辛い記憶が薄まってみないと何ともいえないのが正直なところです(笑)。



 こんな状況で果たして2週間後のUTMFを無事完走できるのか、自分としても大変不安になっていますが、ここまで来たら後は運を天に任せてやれるだけのことをやるしかないと腹をくくって当日を迎えようと思います。ハセツネCUPに出るかどうかはそれからゆっくり考えればいいや。







P.S. 捻挫した右足首ですが、ハセツネ後の夜にかなり腫れてきたので、今日病院に行ったところ、全治1ヶ月の絶対安静という診断・・・。剥離骨折していた可能性もあるということでした・・・。ギブスかサポーターをしなさいということで、迷いなくギブスを選びました。レースはしばらくお休みですね〜、とも言われたのですが、夢だったUTMF。残りの2週間治療に専念して、せめてスタートはできるように回復したいと思います。



      (病院からもらったサポーター。これから2週間、お世話になります。)

Tuesday, April 8, 2014

【後編】UTMF開催直前ワークショップレポート@THE NORTH FACE PRESS ROOM


前回のお話

前回はゴールドウイン三浦務さんによるUTMF開催直前ワークショップの前半部分をまとめました。内容は「選手の責任」と「自然保護に関するルール」「開催時期変更の理由、気温変化への対応」の部分です。詳しくはこちらからお読みください。

今回の内容

今回はいよいよワークショップの核心部分である「必携装備品」についての三浦さんの解説部分です。後半にはNorth Faceのスタッフの方で昨年のUTMFを90位あたりで完走されたエリートランナーと、46時間の制限時間ぎりぎりで完走されたいわゆる一般ランナーのお二人によるアドバイスや参加者とのQ&Aが行われました。その部分についても簡単ですがまとめてあります。

それでは三浦さんによる装備品の解説まとめ、はじめます。

9.装備について-必携品(装備といて必ず携行するもの)


 個別の説明に入る前にしっかり読んでもらいたいのは以下の注意書きです。

必携品ウェアの保温性、防水性などのレベルは、選手自身の責任で決定してください。事前にそれらを着用して氷点下気温の高山、大雨の中での長時間に及ぶランニングなどを体験し、それらのウェアが本当に自分のカラダを守ってくれるのか否かを知っておきましょう。選手自身が責任をもって認め、届け出たウェアを大会本部はその選手の必携ウェアと判断します。

 個別の必携品については以下の通りです。

1.コースマップ(大会公式サイトで公開される「詳細図」を必ずダウンロードしてください)。(※1)

※1 スマートフォンにダウンロードした詳細図は、バッテリー切れで見ることができない場合は『地図を持っていない』とみなされます、ご注意ください。

⇒昨年度は「全体図」でも可としていましたが、今年からは「全体図」ではなく「詳細図」を携帯にダウンロードもしくは印刷して持参ください。これは過去2年間でロストコースする人が多かったための対策です。

2.エントリーの際に番号を届け出た携帯電話。大会本部の電話番号(ナンバーカードに明記してあります)を登録し、番号非通知にせず十分に充電しておくこと。レース前、レース中に大会本部よりこの携帯電話に緊急連絡をすることがあります。 

3.携帯コップ(150cc以上)。エイドステーションに紙コップの用意はありません。

⇒特に説明なし。(ちなみに私が持っていく携帯コップはSea to Summit社のXMugです。)

 



4.1リットル以上の水(スタート時および各エイドステーション出発時)

⇒特に説明なし。(私はUltimate Directionの初代Scott Jurekモデルで行こうと思っています。先日試しにレインウェアや保温のための長袖シャツなどをいれたところそれだけでパンパンに・・・。もうちょっと荷物のダイエットさせないといけないかもです。)

5.食料

⇒ジェルでもパワーバー、チョコ、お饅頭など自分にあったものでOKです。計算上は各エイドステーションで用意されるものを食べ続ければカロリー計算上は完走できることになっている。ただし。山中では何が起こるかわからないので、トラブルに備えて行動食は必携です。

6.ライト2個、それぞれの予備電池。低温では電池の寿命が短くなります。

⇒特に説明なし。(私は先日の六甲縦走キャノンボールランでの痛い反省を踏まえ、高額なお買いものとなってしまいましたが、評判が高く明るさに定評のあるPetzl社のNaoヘッドランプを使用することにしました!あと、手持ちライトとしてGENTOS 閃 325も持っていきます。これでもう迷わない?! )
                (PetzlのNao。ヘッデン市場最強?!) (手持ちライト。明るさ150ルーメン!)

7.サバイバルブランケット(130cm以上×200cm以上)。

⇒この「130cm以上×200cm以上」という規格についてですが、一般的なアウトドアショップで販売しているサバイバルブランケットはほとんどこのサイズ以上のものばかりですので、サイズに関してはあまり気にしなくても大丈夫です。サバイバルブランケットは寝る時などの保温のために使用するだけではなく、走る時にも使えます。UTMBの時にはジャケットの下にサバイバルブランケットを着て走る選手を結構見かけました。特に夜、寒くなってどうしようもない時などにはこのことを思い出してください。
(私がアートスポーツさんで購入したサバイバルブランケットはハイマウントのサバイバルシートです。)

8.ホイッスル

⇒最近ではザックやパックに備え付けられているものも多いですが、その程度のホイッスルで充分です。

9.テーピング用テープ(80cm以上×3cm以上)(※2)
 ※2 骨折などケガの救急処置のためだけでなく、ザックの紐(ストラップ)など、装備が壊れたときの補修など、多くの用途にも使える強いテープ。


⇒この「80cm以上×3cm以上」はあくまで最低限の長さですので実際はもっと長いものを持ってきた方がいいです。(※2)にも書かれてある通り、ケガ等の救急処置だけでなく、装備が壊れた、破れた際の補修にも使えます。(アートスポーツさんにはNew-HaleのUTMF-STY対応テープも販売しており、荷物を最小限にしたい方にはおすすめです。とりあえずという方はこちらもご利用ください。私もこちらを購入しました。)


10.携帯トイレ(※3)
  ※3 使用した場合は次のエイドステーションで交換可能


⇒携帯トイレはレース当日に会場でも販売します。基本はエイドのトイレを使用することになりますが、いざという時のために1つ用意しておいてください。使用済みのものはエイドで新しい携帯トイレに交換します。静岡県側には私有地が多い関係もあり、もし万が一の場合は携帯トイレを使用してください。(私はコンパクトに運べるモンベル社のO.D. トイレキット を購入しました。)


11.保温のためのフリースなどの長袖シャツ。綿素材は認められません。(※4)

※4 保温のための上半身の衣料は=「暖かい空気の層」を作ることができる起毛したミッドウエアと称されるフリースやウール、薄手のダウンなどのことです。薄手のアンダーウェアは認められません。

 ⇒通常の長袖シャツではだめで、North Faceの製品で言いますとPowerDry Grid Jacket程度のいわゆるミッドウェアでなければなりません。(個人的なポイントですが、UTMFはレインウェア上下に加えてこの保温のための長袖シャツもザックに入れて運ばないといけないため、あまり厚手のものだとそれだけでスペースを取ってしまいますので保温性があってかつ軽いものを選んだほうがいいと思います。)

12.保温のための足首までを覆うズボンあるいはタイツ。または膝までを覆うタイツと膝までを覆うハイソックスの組み合わせ。いずれも綿素材は認められません。(※5)

 ※5 保温のための下半身衣料は=A.足首までを覆うズボンB.同じ足首までを覆うタイツC.丈の短いタイツとハイソックスのことです。

 ⇒基本は肌を外に出さないための対策です。Cの「丈の短いタイツ」とは膝下まである七分丈のタイツを指し、それとハイソックスを組み合わせると結局は足全体をタイツとソックスで覆うことになります。膝が隠れていることが一つのポイントです。タイツが一番無難な選択肢だと思います。いわゆる鏑木スタイルで身軽に走りたいという方もいらっしゃるとは思いますが、昨年優勝した原良和選手もロングタイツでしたし、100位以内を目指す!とかでなければ保温対策にもなりますのでタイツを使用するのがいいかと思います。

13.保温のための手袋、耳までを隠す帽子(※6)

 ※6 ウール、ポリエステル製ニットキャップなどのこと。キャップとヘッドバンド、またはジャケットのフード、筒状のバフは認められません。

 ⇒手袋はいいとして、帽子についてもここまで規定しているのは、たとえ吹雪になったとしてもレースを止めたくないという主催者の気持ちがあるからです。2010年のUTMBでは、大雨の影響で30km地点コンバルでレースが中止となりました。中止になって泣き崩れる鏑木選手、横山峰弘選手の姿をテレビを通じてご覧になった方も多いと思います。1年間かけて準備してきた選手を止めることなく走らせたい、そのために帽子についてもしっかりとしたものを用意してもらいたいと考えています。

14.雨天に備えてフードつきレインジャケットとレインパンツ。どちらも〈ゴアテックス〉あるいはそれと同等の防水、透湿機能を持ち、縫い目をシームテープで防水加工してあるもの。(11.12.との兼用はできません)


⇒重要なのは、「ジャケットやパンツの裏の縫い目をシームテープで防水加工してあるもの」という点です。この処理がされているかされていないかがボーダーラインです。ジャケットだけでなく、レインパンツも重要になります。雨が降ると予想された場合は、鏑木選手のような、薄手・軽量のもので勝負するのは避けたほうがよく、しっかりしたものを準備してください。防水だけではなく、保温にも使えます

15.ファーストエイドキット(絆創膏、消毒薬など)

⇒特に説明なし。市販のセットになっているものでもいいですし、必要なものを自分でジップロックなどにいれてコンパクトにまとめるやり方でもいいかと思います。

16.保険証(コピー不可)


17.配布されるナンバーカード、ICチップ(両足につけること)

⇒今年からの変更点ですが、ナンバーカードは折りたたまず、必ず上半身部分に見えるように貼り付けてください。昨年までは米国のトレラン大会でよくあるような、数字の部分だけを見えるように折りたたみ、パンツに安全ピンで付ける選手も多かったのですが、今年からは折りたたむことはNGです。その理由として、ICチップだけでなくスタッフがランナーのナンバーカードを見て記録を取るポイントが数か所あるため、チェックする人にとって見えやすくするということもありますし、もし万が一ケガなどをした際、救護本部の電話番号がナンバーカードには明記されているのですぐに電話することもできますし、選手の名前が明記されているため、選手が意識を失うような状況になった場合でも、ドクターが名前を呼ぶことで意識を取り戻しやすくなります。
 そういった緊急の場合だけではなく、名前が見えると応援してくれる人から名前を呼んでもらいやすくなり、元気をもらえます。
 シャツは着替えたり、上からジャケットを着ると見えなくなることもありますので、おすすめはナンバーをとめて着脱が容易なベルトです。(私はNathan社のRace Number Beltを使用する予定です。)



18.配布されるフラッシュライト(夜間走行の車輌から認識されやすいよう、ザックなどにつけること)

⇒エイドステーションの前後では市街地を通るところが何か所もありますので安全対策として必ずザックやキャップ、ライトの後ろなど車から見えるところに付けるようにしてください。


※必携品とは最低限の装備のことです。厳しいレース環境で、二昼夜(STYは一昼夜)走り続けることを認識し、自らの安全と健全な体調を確保するために、さらに必要と思われる装備を加えてください。(スタート時に半袖、短パンであってもかまいませんが、必ず必携品を携行してください。)

特に勧める携帯品 

コンパス、熊鈴(※)、着替え、日焼け止め、ワセリン、筆記用具、現金
※熊鈴は昼夜を問わず、近隣住民にとって非常に不愉快な騒音です。山岳区間以外では取り外すなど鳴らないように工夫してください。

熊鈴は近隣住民からの苦情が相次いだこともあり、必須装備品からは外しましたが、熊が出なくなったというわけではありません。熊に出会う可能性はゼロではありませんので、心配な方はやはり今年も熊鈴を携帯してください。ただし、市街地に来たら音を出さないようにしてください
(最近ではワンタッチで消音できる熊鈴も多くありますので、そちらをご活用ください。私はこのハイマウントの消音ケース付きのカウベルを持っていきます。)



10. ドロップバッグについて  

1.STYにはありません。
2.UTMFの選手は、レース途中の「A7 富士山こどもの国」で、スタート前に預けた荷物(ドロップバッグ)を受け取ることができます。
3.そこまでの区間で使い終わった用具などをドロップバッグに戻すこともできます。
4.レース終了後、ドロップバッグはフィニッシュの河口湖八木崎公園に運ばれます。

⇒UTMFに出場される方は是非積極的にドロップバックを活用してください。レースの中間地点である「A7 富士山こどもの国」でドロップバッグを受け取れますので、天気予報なども考慮に入れて、着替えや予備のシューズなど用意しておくとよいと思われます。自分で運ぶわけではないので必要と思われるものはある程度多くなっても預けてしまえばいいと思います。例として、最初は薄手のジャケットで走り、2晩目の寒くなるところでドロップバックに厚手のジャケットを追加するなどがあります。後半の天子山地を乗り切るためにドロップバックは重要なポイントになります。
 着替え終わったウェアなどもそこで預けられ、ゴール後受け取ることができます。

■上記1~18にあげられた必携装備品は必要最低限の装備ですので、必ず自分自身で足りないものを足すようにしてください。
 

プライベートサポートについて

サポートクルーの重要性はよく言われていますが、サポートクルーをつけることができる選手は是非つけてください。ただし、以下のエイドはサポートNGです。

サポートをつけることができないエイドステーション】

  •  A1  富士吉田
  •  A2  二十曲峠
  •  W1  粟倉
  •  A11 鳴沢

 

Q&A

 三浦さんの解説後、UTMFを完走した2名のNorth Faceスタッフの方も交え、参加者との質疑応答が行われました。

Q:関門時間についてですが、エイドには関門時間までにエイドに入っておけば関門はクリアしたとみなされますか?
A:残念ながら関門時間までに、そのエイドを出なければ関門クリアとはみなされません。今回は制限時間が48時間から46時間と2時間少なくなっている関係もあります。西富士中学校までは1回目のUTMFと同じコースですが西富士から先のコースが今回変更となっていて距離が伸びているので制限時間が厳しくなっています。また、「A5 富士山御殿場口太郎坊~A6水ヶ塚公園」間は富士山スカイラインは舗装道となっており、ここは早朝までに通る必要があります。4月26日(土)はゴールデンウィークの初日にあたり、レジャー施設もこの日からオープンするところも多く、観光客が押し寄せる前に通過する必要があります。
 コース的にも後半には天子山地が待っており、かなり厳しいコースであり、後半に使える時間を前半で稼ぐ必要もあり、関門が厳しくなっています。

Q:補給食についてアドバイスはありますか?
A:エイドステーションには米の補給食が少ないので、サポートを付けることができるのであれば米を持ってきてもらうのがおすすめです。おにぎりはエネルギーになるまで2時間近くかかりますが腹持ちもいいのでドロップバックにおにぎりをいれておくのもよいでしょう。
 鏑木選手は130キロを過ぎるとジェルが喉を通らなくなることが多く、フルーツなども試したのですが、最終的には「お粥」に落ち着きました。UTMBなど海外の大会ではアルファ米を持っていき、現地でお湯で戻して塩と醤油で味付けして食べさせていました。100マイルのレースでは後半モチベーションを維持するのが難しいので、「次のエイドに行けばお粥が食べられる!」というのが鏑木選手のモチベーションになっていました。

Q:トイレですが西富士中学校はシューズを脱ぐ必要があると聞いたのですが?
A:はい。基本はそのまま入れますが、西富士中学校は普段は学校であり、UTMFのために特別に場所を提供していただいていますのでシューズは脱いでご利用ください。

Q:グローブは薄手のものだと厳しいですか?
A:2晩目が厳しいので、ドロップバッグに厚手のグローブをいれておくといいと思います。


 以上になります。私含め特に初めてUTMFに挑戦する方の参考になれば・・・と思いまとめました。残り2週間ちょっとですが、体調管理、ケガには十分気をつけて過ごしていきましょう!とりあえず私は今週末のハセツネ30Kで張り切りすぎてケガしないように注意します・・・。