Saturday, May 3, 2014

UTMF2014を振り返って




 Ultra-Trail Mt. Fuji、略してUTMF。今年2014年で第3回目を迎える日本随一の国際100マイルレース。ただ、今年は直前になってのコース変更もあり、100マイルではなく、105マイルに、キロにして約169キロに伸び、かつA10本栖湖からA11鳴沢に山も追加され、同じ時計回りの第1回目よりも関門時間がかなり厳しくなるという、ただでさえ難易度が高いのに今年はそれ以上に厳しくなった、そんな年でした。

 今年のレースは4月25日から27日まで行われ、すでにレースから一週間が経とうとしています。この一週間色んな事を考えました。ブログにまとめることについても自分の考えがまとまらないので書けないという状況でした。ただ、このまま行くとまた自分の中での整理をつけないままズルズルと行ってしまいそうなので、現時点で思い浮かぶことをとりあえず書きだしてみようと思います。

 UTMFの事を知ったのはまだアメリカにいた時でした。UTMFが兄として仰ぐUltra-Trail du Mont-Blanc、略してUTMBの事を知ったのはアメリカで本格的に走り始めた2011年くらい。ちょうど人生初のフルマラソンを走り終えて、次の目標としてトレイルランニングに興味を持ち始めていた時でした。50マイルすら走ったことのなかった当時、自分が100マイルレースに参加するなんて夢のまた夢でした。しかしそれから僅か3年後の2014年、UTMBの弟分であるUTMFのスタート地点に自分が立てたことは、もちろん色んな運も重なったからですが、何となく自分の人生がそういうふうになっていたのではないかと思うくらいのあっけなさで実現してしまいました。

 準備不足かといえばそういう訳でもなく、トレーニング量的に見て完走はできるだろうというくらいの自信はありました。が、結果は、DNF。一番の原因はUTMFの2週間前のハセツネ30Kで挫いてしまった右足首捻挫が完治しないまま本番当日を迎えてしまったことでした。整形外科で処方された足首のサポーターと湿布で2週間治療に専念したのですが、先生からは1ヶ月は走ってはダメだと念を押されていたにも関わらず、何とかなるだろうと楽観視していたのですが、剥離骨折手前だと診断された傷は表面的な腫れは引いていたのですが、根本的には完治しないままでした。スタートしてすぐに違和感を感じたのですが、丁寧に走れば何とかなると騙し騙し走り続けていました。ただしA3山中湖きらら〜A4すばしりの間にある連続した山越えでついにハセツネ30Kでやってしまった所と全く同じ箇所をグキっとやってしまいました。一度捻った後もバランスが崩れてしまったのか、A4すばしりからA5富士山御殿場太郎坊へと続く山登りの連続の箇所で何と4回も捻挫してしまう始末。もはやトレイルを登ることも下ることもできなくなり、平地のみ何とか走れるというトレイルランニングとしては完全に終わってしまっていました。とても天子山地をこの足で挑戦することはできず、右足を引きずりながらたどり着いたA7富士山こどもの国で1時間近く悩んだ末、リタイアすることにしました。

 怪我をしたままレースに出てしまった自分の不運を嘆くより、まだ自分のレベルでUTMFに挑戦するとはおこがましいというような、そんな富士山からの叱責を受けたという表現のほうが正しいかもしれません。

 自分が想像していたよりもあっけなく参加できてしまった今回のUTMFらしい結果と言えばそうなのかもしれません。富士山こどもの国では関門時間間際になって駆けこんでくる多くのランナー達の姿に自分もまだ行けるのではないかと最後まで悩みながら、両足の計測チップを取り外しました。

 シューズの上からもわかるくらいに腫れ上がった右足を見つめながら、サポートクルーの家族を待っていたあの1時間ばかりの間の穏やかな時間。さっきまでの戦場から一気に日常生活に連れ戻されてしまった、その空気感のギャップとこどもの国の暖かな空気や春の匂いを僕はけして忘れることはないでしょう。

 富士山を人間の足だけで一周するということはやはり生半可なことではなく、ベスパ斎藤さんがおっしゃっていたように、スタートしてからの補給云々の前に、身体のコンディションをスタート前にいかに万全にできるかのほうが重要であるという、その言葉の意味を自信の身体でもってしっかりと学んだレースでした。

 アメリカでは50マイルも100キロも200マイルリレーも一度もリタイアしたことがなかったのに、帰国後早々の六甲縦走キャノンボールラン(往復POWERの部)と今回のUTMFの2回のレースを続けざまに(ハセツネ30Kもある意味ボロボロでしたし)リタイアしてしまったという事実に対して、自らのトレイルランへの適性そのものを疑う結果となりました。別に誰かにやらされている訳ではないんだしいっそ辞めてしまおうかとも本気で考えてしまいました。ただ、同時に誰にも頼まれていないんだからこそ、自分勝手にやってもいいんじゃないかという気持ちもあり、そのあたりとの帳尻をどうつけるかについて、今はまだ悩んでいるというのが正直なところです。多分トレイルランニング自体を辞めることはないとは思いますが、今後日本の山に挑戦し続けるためには、まず自分の心技体を日本のトレイルのレベルに合わせることが必要だと思っています。米国での経験などはこの際いい機会なので一度全て忘れてしまい、再度初心者ランナーとしてゼロから出直す必要があると考えています。

 とりあえず、今後のことを考えるためにも、今一度今回のUTMFで私に何が起こったのか、何をすべきでなかったかなどをこれからのブログで折を見て振り返ってみようと思います。

 夢は夢のままで終わらせたほうがいいという人もいますが、私は例え這いつくばってボロボロになったとしても、その夢を現実にするためにすがりつくカッコ悪い人間でいたいと思っています。