Tuesday, April 1, 2014

【Race Report】六甲縦走キャノンボールラン完敗記録



 日本帰国後、最初にして最大の(?)難関、六甲縦走キャノンボールランに先週末挑戦してきました。米国での数年間のランニング経験を引っさげて日本のトレラン界に殴りこみだ!と息巻いていたのですが、結果は惨敗でした・・・。正直、六甲縦走舐めていました。本当に申し訳ございませんでした。
 昨年夏挑戦したオレゴンでのWaldo 100Kでも累積標高差は約3,350mだったし、あと1ヶ月後に走るUTMFは約9,500mだし、累積標高差が約2,800mの六甲縦走なんてハイキングレベルでしょ?と、高を括っていた一週間前の自分にもし今会えるならグーでパンチしてやりたい、そんな気持ちです。
 つまり、何が言いたいのかというと、往復112キロのPOWERの部で申し込んでいた今回のキャノンボールですが、往路の折り返し地点の宝塚で完全にエンジンストップしてしまい、人生初のDNF、所謂リタイアで終わってしまいました(距離的に言うとSPEEDの部を走ったことになります)。宝塚から復路52キロ六甲連山を再び逆走して須磨浦公園まで戻る気力がどうしても湧かず、宝塚から須磨浦公園に向けて出発するランナーを見送ってから心も体もウェアもびしょ濡れ、泥だらけの中、宝塚音楽学校の将来のタカラジェンヌたちがなぜか整列している中、とぼとぼと電車で実家まで帰宅いたしました。そうです。今回私は完敗しました

以下、完敗に至った私の言い訳が続きます。

【言い訳その1.天気のせい】
まず、POWERの部開始の土曜日の降水確率を御覧ください。もうどこをどう転んでも雨から逃げることは不可能な降水確率100%。この時までは、UTMFの対策トークイベントでも鏑木さんも、「今年はそろそろ雨降るんじゃないかと思っているので雨対策はしっかりしてくださいね。」、とおっしゃっていたので、まあ雨の中のトレランを試せるいい機会か、と気軽に考えていました。もちろん、これが普通の雨程度であればそうだったのかもしれません。




 そう。普通の雨であれば・・・。ただし土曜の夜〜日曜午前中にかけての雨は、そんなもんじゃなかったのです(↓)。




 結果、警報が出るほどの大雨に。どんな状況かは写真を見ていただくとお分かりになるかと思います(↓)。普通に考えると避難必至の大雨です・・・。
 

 上の写真は2日目の日曜午前中の写真で、私はこの時、折り返し地点の宝塚で生ける屍となっていましたので、実際にはこの現場にはいませんでしたことを申し伝えておきます(写真はmayasan.jpさんからの提供です。ありがとうございます!)。
 レーススタート前から降りだした雨は、21時のレース開始には雨足も強くなってきました。ただこの程度であれば何とかなるか・・・とその時は誰もがそう考える程度のレベルではありました。


 ただし、馬の背に到着するあたりには大雨になり、かつ視界が1m先も見えない霧も出てきて、さらに暴風が吹きすさび始めるという、普通に考えるとレースとかしてる場合じゃない、というか、山に入ってはいけないレベルの天候に。丸山市街地のバス停でバスを待っていたおばちゃんたちですら、大雨の中、山に向かって走り続ける私たちを見て、こんな中、山に行くなんて危険過ぎるからやめたほうがいいと言っていた意味がそのすぐ後によくわかりました。ただ隣のランナーがおばちゃんに「いやいや、雨が降ってなくても十分危険だから(笑)」と笑って返していたのも、この後の壮絶なレース展開をいやがおうでも予感させてくれるには十分でした。。。

 雨が降り続くうちに、徐々に山道にも泥状態から水たまり状態に。最初は水たまりとかを避けて走っていたのですが、後半は水たまり以外に走れるところがないというすさまじい状況に。降りではそこ、ここで滝が発生する中、泥水の流れと共に濁流下りをしながら滑り落ちるという、生命の危機を感じながらのレースとなりました。そのような中でも恐れること無く駆け下りていく関西のランナーの皆さまの技術力というか怖い物知らずさには心から敬意を感じずにはいられませんでした。いや、本当に。

【言い訳その2.夜中走るレースを走ったことがなかったせい】
 今まで米国のトレランレースでは100キロまでのレースしか出ていないこともあったのですが、一晩かけて走ったことは経験がありませんでした。Waldo 100Kでも開始は午前5時。最初は暗くてもすぐに夜明けがやってきて、本格的に夜になる前にはゴールできますので、レースといえば基本、日中走るものばかりでした。今回米国のレースでもいつも使っていたPetzlの安物のヘッドランプを使ったのですが明らかに六甲の暗闇に立ち向かうには明るさが足りない。霧で視界がほとんどなかったということもあるのかと思いますが、とにかく見えない。そのため、何度も水たまりを避ける時に崖から足を踏み外しそうになる事態に。眠気には襲われなかったのですが、とにかく見えないのが恐怖でした。電池の替えも持ってきてなかったので電池切れの恐怖とも戦いながらのレースとなり、走るというよりも一歩一歩足元を確かめながら歩く展開に。明け方になって周りがうっすらと白く見えてきた嬉しさは今でも忘れられません。

【言い訳その3.コースマーカーが無いレースは初めてなせい】
 六甲縦走は六甲連山という大小様々な15の山と市街地も走るバラエティ豊かなコース。またアメリカの話で恐縮ですが、あちらの場合はどんな小規模なレースでも、レースの際には必ずコースマークが数百フィートごとに木の枝に付いているか、地面に突き刺さっていました。夜でも見えるようにリフレクションが付いていたり。コースマーカーのおかげで初めて走るコースでもほとんど迷うことなく走りに集中することができました。今回のキャノンボールはそういったものは一切なく、あったのは神戸市が立てている「六甲全山縦走路」の標識のみ。それも今回のような雨と霧で視界ゼロな状況かつ夜中だと気をつけなければ簡単に見過ごしてしまうほどのもので、当たり前ですがリフレクションも無いので暗闇ではそこに標識があることにすら気づきません。
 六甲連山バージンな私は一応地図でコースは確認していたのですが、このコンディションの中、自分が今どこを走っているのか把握するのはかなり難しかったです。途中まで一緒に走ってくれた神戸在住の友人のおかげで一緒に走っている間はロストすることもなく走れました。ただ、単独走となった夜中1時過ぎに、鍋蓋山の付近で完全に標識を見失い、ロストしてしまいました。ただロストの怖いところが、自分が間違ったコースを走っていることに気づかない点です。自分としては正しいトレイルを走っているつもりだったのですが、どこまで行っても先を走るランナーに出会わない。後ろを振り返ってもそこには永遠の漆黒があるだけ。前後左右、自分以外全部闇という恐ろしい状況に。ただそうは言っても、いつかは人に出会えるだろうと30分ほど進んでいったところ、「七三峠」、という標識が見えました。通常の思考能力であればせっかく場所が分かったのだからそこで一度立ち止まって落ち着いて地図で現在地を確認、となるのですが暴風雨の漆黒の闇に囲まれた深夜に1人という状況だった私はとにかく誰かに会いたいという一心で前に進むことを優先してしまいました。六甲山に詳しい人なら「七三峠」の標識を見た時に誤りに気づくのだと思いますが、私はそのまま突き進み続けました。ほどなく進むと、遠くにヘッドランプの明かりが。近づいていくと、途方にくれてぼーっと佇んでいる一人の男性ランナーがトレイルの脇に立っていました。

 「なんかこっちに来たのはいいんやけど、どうも道間違えたみたいなんや・・・。どこまで行っても誰もおれへんし、いきなり動物みたいなんが飛び出してくるし、怖なって急いでここまで戻って来たんや・・・」

 と、かなり憔悴しきった感じ。私も自分が間違っていたこと自体、気づいてなかったので2人でしばしどうするか作戦会議。というかこの人遭難した幽霊で俺をこのまま山奥に連れていこうとしているんじゃないだろうか・・・という失礼すぎる考えすら頭をよぎったのですが、とりあえず一緒にロストコースした起点だと推測される鍋蓋山まで戻ろうということになり、私が先頭に立って走ることに。これで後ろ振り返ってこの人いなくなってたら俺のキャノンボールはそこで終了だな。と思ったりしたのですが、むしろ積極的に身の上話とかしてくれて本当にいい人でした。鍋蓋山まで戻ったら正しい分岐点を発見!そこでようやく前後のランナーの皆さんのヘッドランプの明かりが見え、二人して心底ほっとして正しいコースに戻りました。おっちゃんは、

 「昼間は何回も走りに来てるんやけど、夜に走ると全くわからんな。それもこんな雨と霧の中やし。なんで印とか付けてへんねん。そりゃ迷うやろ・・・。お兄ちゃんも頑張りな。」

 と言い残して颯爽と暗闇に消えていきました。やはり夜中にコースマーカー無しのレースに出るのあれば、かなりコースを熟知して頭に分岐点を叩き込んでおくか、そのコースを良く知っている友人にぴったりくっついて行くしかないということをあらためて思い知りました。(できれば次回からは私がボランティアしてもいいから山道だけはコースマーカーつけてほしいな、キャノンボールさん・・・。)
 
【言い訳その4.日本の山の特徴を知らなさすぎたせい】
 六甲連山だけじゃなく、日本の山は急勾配で岩が多く、なかなか走れないという特徴を私が理解していなかったのも問題でした。横浜の港南台〜鎌倉までのトレイルは練習として今まで何度か走ったのですが、そこのトレイルは米国東部の走りやすいトレイルに似ていたのもあり、日本の山の本当の怖さを知らず、安心していたこともありました。それが今回レーススタート直後から連続して続く急勾配の登り降りや、手を使わないと登り下りできない岩場の連続で一気にサバイバルモードに突入させられました。Waldo 100Kが、さも世界最高レベルの難レースだなんて思っていた過去の自分をまたおもいっきりビンタしたくなるような、そんな気持ちになりました。少なくともキャノンボールはトレランではなく、山岳ランと名前を変えるべきです(笑)。本当にビクビクしながら登り降りしている自分の横を、周りのランナーたちはを忍者のようにヒョイヒョイと駆け抜けて行っており、圧倒的なレベルの違いを感じざるをえませんでした。こんなレベルの私が書いているトレランブログなんて抹消してしまったほうがいいのではと思うくらい恥ずかしくなるくらいでした・・・。
 自分としては登りというよりも下り方をもっと習得する必要があるとひしひしと感じました。なんで岩場でかつ大雨で滑りまくり泥まみれな急な下りを迷うこと無く下りていけるのか、本当に一晩中不思議でなりませんでした。どなたかコツがあるのであれば是非こっそり教えてください。

【言い訳その5.雨、寒さ、泥道対策が足りてなかったせい】
 今回通常のトレラン、ウルトラなどの大会にあるようなドロップバッグが無い中、どのように準備すべきか、ちゃんと理解できていませんでした。まず第一の敗因は東京で購入していたジェル一式を全部東京に忘れて来てしまったということです。急遽妻が出発前に買ってくれていたトレイルミックスが主要なエネルギー源に。大雨の中、着替えを背負ったとしてもすぐにびしょ濡れになるし、ゴアテックスの防水ウェアを着ても降り続く雨の中では結局びしょ濡れになるということがよく分かりました。このような雨のレースでこそ、ウェアやシューズの替えを持ってきてくれるサポートクルーがいれば・・・と何度も願いましたが、もちろんいるはずもなく、ただ雨風で濡れていくウェア、シューズによってどんどんと体温は奪われていき、気を抜くと寒さで動けなくなる状態にまでなってしまいました。
 また、今回はHOKA One OneのStinson Evoで勝負したのですが、今回のようなMuddyかつ岩場がつるつる滑るコンディションでは圧倒的にグリップ力が足りず、厳しかったです。今回のようなレースではSalomonのSpeed Cross 3くらいのグリップ力があるシューズのほうが良かったと思いました。HOKAは今回本当につるっつる滑って危険でした・・・。
 今回の経験のおかげで、UTMFでは装備を一新して望まないといけないということに気づけたのが不幸中の(?)幸いだと言えるでしょう。

・・・と色々と言い訳はあるのですが、終わってみれば不完全燃焼ですがとても良い経験でした。キャノンボールランは草レースの良さが散りばめられている大会ですが、私の米国で出た草レースとの比較でさらに良くなる点もいくつかあるのではと感じました。

 その一つが、運営方針に対してです。草レースだから、ということで公式のサポート、サービスが無いこと、全ては自己責任で、という方針にグッとくる人も多いのですが(私もその1人です)、すでにこれだけの規模になった今、本当にこそれでいいのだろうか、と考えてみてもいいのかなと思います。無許可、自己責任で行う遊び心が無くなればそれはキャノンボールではなくなってしまうと思いますが、既に数百人が参加するまでに成長してしまった段階で、神戸市などの公的機関からの公認、許可は望めなくても、せめてボランティアを募ってコースマーカーは最低限分岐点ではつける、交通の便がいい所だけ1、2箇所でもいいのでエイドを設置する、折り返しの宝塚(今回の場合)でのドロップバックを許可する、などです。遊び心と自由さを保ったまま、安全性を高める努力もできるはずずです。そのために例えば参加費が2000円~3000円上がったとしても私としてはいいのではないかなと思いますがいかがでしょうか?

 とまあキャノンボールにハマってしまったために、自分が身内=運営側だったら・・と考え始めると色々と案が出てきますが、今回のレース中最も印象に残ったのは豪雨でも風でも寒さでも、一歩足を踏み外すとジ・エンドなコースでもありません。今回そのような豪雨、極寒の中、何度も何度も心が折れ続け、折れる心がもう無いんじゃないかというところで救ってくれた、私設エイドでサポートしてくれたボランティアの皆さんです。冷え切った体に温かいスープやお味噌汁、ウィンナー、ホットココア、うまい棒(!)は本当に、本当に助かりました。今回宝塚までの片道ですらおそらく私設エイドの方の存在がなければ厳しかったと思います。


(最初の私設エイド。うまい棒とポカリに助けられました。)



(摩耶山後、真夜中、暴風雨の中ボロボロになったところで現れた天使。ウインナーとホットココア、最高でした。)

(その天使↑)

 今回走ってみていかに自分に山登りのための筋力が不足しているかを痛感することができました。長く走ることはできる足であっても日本の山のような急峻なアップダウンには耐えられない貧弱な筋力しかないと痛感しました。これがUTMF本番でなくて本当によかった。残り時間は少ないけど、最後の調整レースであるハセツネ30Kまでに回復して再度自分の足を試したいと思います。

 今まで4回ほどキャノンボールを完走した友人をして「史上最狂」と言わしめた今回のアドベンチャー(?)レース。今後の自分にとって糧となることを期待してまた明日から頑張りたいと思います。そして近い将来、必ずリベンジしに六甲に戻ります!
待ってろよ、キャノンボール!

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